求礼郡とは? わかりやすく解説

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求礼郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 10:07 UTC 版)

全羅南道 求礼郡
智異山華厳寺の覚皇殿、石灯籠と西五層石塔
位置
各種表記
ハングル: 구례군
漢字: 求禮郡
日本語読み仮名: きゅうれいぐん
片仮名転写: クレ=グン
ローマ字転写 (RR): Gurye-gun
統計(2023年
面積: 443.2 km2
総人口: 24,314[1]
男子人口: 11,890 人
女子人口: 12,424 人
人口密度: 54.86 人/km2
世帯数: 13,432 世帯
行政
国:  大韓民国
上位自治体: 全羅南道
下位行政区画: 1邑7面
行政区域分類コード: 36330
求礼郡の木: サンシュユ
求礼郡の花: ツツジ
求礼郡の鳥: ヤマバト
自治体公式サイト: 求礼郡
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求礼郡庁

求礼郡(クレぐん)は、大韓民国全羅南道の北東部にある郡である。東は慶尚南道に、北は全羅北道に接する。朝鮮半島の名山の一つである智異山(チリサン)が郡の北東にそびえ、登山者の玄関口になっている。

サンシュユ(山茱萸、山瀋按)・野菜の栽培といった農業や農産品加工のほか、智異山登山や華厳寺などの観光が主な産業である。

歴史

智異山からの風景

この地は百済の求礼次県であった。757年統一新羅景徳王の時代に求礼県と唐風に改名されている。智異山は仏教の聖地でもあり、華厳寺など多くの寺院が山中に建てられ、現在に残っている。

1895年に郡制が敷かれると求礼郡が設置され、1906年には全羅北道から全羅南道に移管し、同時に南原郡から山洞面など4つの面を併合した。1963年に求礼面が求礼邑に昇格し、1邑7面となっている。

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、古達面が谷城郡に編入。求礼郡に以下の面が成立(8面)。
    • 求礼面・艮文面・土旨面・馬山面・光義面・龍方面・外山面・内山面
  • 1932年 - 外山面・内山面が合併し、山東面が発足(7面)。
  • 1945年 - 艮文面を艮田面・文尺面に分割(8面)。
  • 1963年1月1日 - 求礼面が求礼邑に昇格(1邑7面)。

地理

華厳寺の大雄殿と冥府殿
鼇山の絶壁にある四聖庵

求礼郡の北部には小白山脈の南端の高峰である智異山が広がり、智異山国立公園に指定されている。南部は平野であり光陽市順天市に接している。郡の中央を、東シナ海に注ぐ蟾津江(ソムジンガン)が流れている。高原にあるため年の気温差は大きい。

行政

行政区域図

行政区画

邑・面 法定里
求礼邑 桂山里、論谷里、白蓮里、鳳南里、鳳東里、鳳北里、鳳西里、山城里、新月里、元方里
艮田面 艮文里、錦山里、三山里、寿坪里、陽川里、雲川里、中大里、孝谷里、興大里
文尺面 金亭里、月田里、竹麻里、中山里
土旨面 九山里、金内里、内東里、内西里、文殊里、松亭里、五美里、外谷里、龍頭里、把道里
馬山面 甲山里、広坪里、冷泉里、馬山里、沙図里、黄田里
光義面 九湾里、大山里、大田里、放光里、水月里、烟波里、温堂里、芝川里
龍方面 四林里、新道里、新智里、龍江里、龍井里、竹亭里、中方里
山東面 桂川里、官山里、内山里、大坪里、屯寺里、水基里、侍上里、莘鶴里、外山里、元達里、院村里、位安里、梨坪里、佐沙里、塔挺里

警察

消防

出身人物

姉妹都市

脚注

外部サイト




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