イラン空軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 政治組織 > 軍隊 > 空軍 > イラン空軍の意味・解説 

イラン空軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 09:45 UTC 版)

イラン・イスラム共和国空軍
نیروی هوایی ارتش جمهوری اسلامی ایران
創設1925年
国籍 イラン
軍種空軍
タイプ軍事航空
任務航空戦闘
上級部隊イラン・イスラム共和国軍
基地テヘラン
モットーبلند آسمان جایگاه من است
高空が我の居場所
主な戦歴イラン進駐
ドファールの反乱英語版
イラン・イラク戦争
シリア内戦
イスラム国への軍事的介入英語版
指揮
現司令官ハミッド・ヴァへディ准将
識別
国籍識別標
フィンフラッシュ
空軍旗
使用作戦機
攻撃機Su-24
電子戦機ボーイング707
戦闘機MiG-29
F-5E
F-4D/E
F-14A
輸送ヘリCH-47C
練習ヘリベル 206
汎用ヘリベル 212
哨戒機P-3F
偵察機RF-4
練習機PC-7
F-5B/F
Yak-130
輸送機PC-6
C-130E/H
Il-76
給油機ボーイング707
ボーイング747

イラン・イスラム共和国空軍(イラン・イスラムきょうわこくくうぐん ペルシア語: نیروی هوایی ارتش جمهوری اسلامی ایران‎、英語: Islamic republic of iran Air Force、略称:IRIAF)とはイラン・イスラム共和国空軍組織である。

概要

イラン・イスラム共和国空軍はイラン・イスラム共和国軍航空戦力1979年イラン革命によりパーレビ国王が退位した後に誕生したイラン・イスラム共和国の領空領土を守る部隊である。保有する軍用機飛行隊の編成は革命前とあまり変わらない。現在の司令官はハミッド・ヴァへディ准将。

編成

イラン空軍は、1979年革命前にアメリカイギリスイタリアなどの西側諸国から大量に購入した戦闘機ヘリコプターなど、それに加えて革命後にソ連中国などから購入した戦闘機、輸送機など、そして、湾岸戦争時にイラクから大量に逃げてきた戦闘機やヘリコプターなどさまざまな機種が存在する。

しかし、革命前に購入したものは、その後の西側諸国との関係悪化に伴う供給停止による部品不足、整備不良などが問題となっているうえ、革命後に購入したソ連製などにしてもエンジン寿命が短く整備費用が高いなどさまざまな問題があり、全体的に稼働率は低いと思われる。また、今のところ湾岸戦争でイラクから亡命してきた機体が何機か返還されていないようだが、見た目の良さに加えて整備性が程良いと言われている[1]

機種と保有数

革命前に導入した機体の状態や数は不明な点が多く、稼働数の実数は不明である。

通常の戦闘機[2]の他、ステルス戦闘機(ガーヘル 313[3]を国産開発したとされる。

戦闘機/攻撃機
輸送機/作戦支援機

ギャラリー

脚注

出典

  1. ^ 全164か国 これが世界の空軍力だ! (万物図鑑シリーズ) 単行本
  2. ^ イラン、「初の国産戦闘機」公開 国防への備えを誇示 - CNN
  3. ^ イランが、最新の国産戦闘機を公開”. IRIB (2013年2月1日). 2013年2月4日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


イラン空軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:18 UTC 版)

AIM-54 フェニックス」の記事における「イラン空軍」の解説

イラク軍所属MiG-25数機との交戦中のことであったが、このとき発射されたミサイルはいずれ命中しなかった。ただし、うち1発はMiG-25の1機を地面近くまで追尾していき、結果燃料切れを引き起こさせ墜落させたとも言われている[要出典]。 1979年1月、イラン空軍の訓練において、212km先のドローン無人標的機)を撃墜した事例がある。 イラン供給され285発のフェニックスの、イラン・イラク戦争(1980-1988年)における使用状況については複数報告なされているが、その内容まちまちである(#外部リンク 1. 参照)。25機あまりを撃墜した主張するものが複数ある(#外部リンク 2. など)一方で機体対す破壊工作によってミサイルの発射自体不可能だったか、別の何らかの理由によって、1機も撃墜できなかったはずだとするものもある。一般的には、イラン空軍におけるF-14の主要任務早期警戒機に近い性格のものであり、別の戦闘機により護衛されていたとされている。 2016年発刊書籍『イラン空軍のF-14トムキャット飛行隊』(大日本絵画 2016年 ISBN 978-4-499-23185-5)によれば以下のような使用記録記述されている。各項最後数字記載ページ番号。また前述25撃墜記録について同書P.63で実際はごく少数否定しAIM-54よるものともされていない1980年10月6日 - イラク軍ミラージュF1EQを1機撃墜(P.76)。 1980年10月14日 - イラク軍MiG-23を1機撃墜(P.76)。 1980年10月29日 - イラク軍の2機のMiG-23に対して2発発射。1機を空中破壊、もう1機は墜落し撃墜判定(P.46-49)。 1980年12月1日 - イラク軍MiG-21に1発発射して撃墜(P.52)。 1980年1月7日 - イラク軍MiG-23に1発発射。4機編隊のうち先頭の1機を狙ったのだったが、1機目の破片当たったのか他に2機が墜落し一石三鳥となった残り1機は煙を噴きながら退却したが、帰還できたか不明(P.53)。 1980年1月29日 - イラク軍のSu-20に1発発射して撃墜(P.53)。 1981年5月15日 - ソ連軍MiG-25に1発発射するも、搭載レーダー探知され回避機体後方爆発した破片によりわずかにダメージ与えた帰還した(P.59)。 1982年9月26日 - イラク軍MiG-25に1発発射して撃墜(P.61)。 1982年12月1日 - イラク軍MiG-25に1発発射して撃墜(P.61)。 1982年12月1日 - イラク軍MiG-25に2発発射。1発目はミサイル故障により外れ、それにパイロット安心して速度落としたところへ2発目が命中し撃墜(P.61-62)。 1983年8月6日 - イラク軍MiG-25に1発発射。致命傷与えるも撃墜には至らなかった。しかし撤退中に遭遇したF-5Eによってサイドワインダーでとどめを刺される(P.63)。 1984年2月26日 - イラク軍MiG-23に1発発射して撃墜(P.64)。 1984年7月26日 - イラク軍シュペルエタンダールに1発発射。F-14を操縦していたパイロット撃墜申告していたが、実際シュペルエタンダール辛うじて帰還していた(P.65)。 1984年8月7日 - イラク軍シュペルエタンダールから発射されたエグゾセミサイルを撃ち落とすため搭載していた残り全て使用結果不明(P.65)。 1985年3月以降時期不明 - ソ連軍MiG-23を3機撃墜(P.79)。 1986年2月15日 - イラク軍MiG-25撃墜発射数は不明(P.67)。 1986年2月18日 - イラク軍ミラージュF1EQを1機撃墜別の1機に1発発射したが、こちらは外れた(P.67)。

※この「イラン空軍」の解説は、「AIM-54 フェニックス」の解説の一部です。
「イラン空軍」を含む「AIM-54 フェニックス」の記事については、「AIM-54 フェニックス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「イラン空軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イラン空軍」の関連用語

イラン空軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イラン空軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイラン空軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのAIM-54 フェニックス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS