【エーリッヒ・ハルトマン】(えーりっひ・はるとまん)
Erich Hartman(1922年生~1993年没)
第二次世界大戦時のドイツ空軍トップエースであり、歴史上最も多くの航空機を撃墜したパイロット。愛称は「ブービー」。
活躍したのは1943年夏以降の対ソビエト戦で、1944年3月までの僅か1年で前人未到の300機撃墜を記録し、ソビエト空軍から「ウクライナの黒い悪魔」と呼ばれた。
生還することを信条としていたため、彼の部下を含めて無傷で戦い続けたことも興味深い。
最終的に被撃墜は16回、撃墜数は352機に達し、今後も決して破られることが無いであろう世界記録を樹立した。
この時、ハルトマンは弱冠23歳であった。
戦後はソビエトで10年にわたる抑留生活を余儀なくされたが、1955年10月に帰国し、家族との再会を果たした。
その後、1956年に西ドイツ空軍に参加、航空団司令などを歴任していたが、1970年には48歳という若さで現役を退いた。
(これは、上司との折り合いが付かなかったため、と言われる)
その後は一民間人として東西ドイツの統一を見届け、1993年9月20日に71歳で亡くなっている。
関連:Bf109 エースパイロット ゲルハルト・バルクホルン
エーリヒ・ハルトマン
(エーリッヒ・ハルトマン から転送)
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エーリヒ・アルフレート・ハルトマン(Erich Alfred "Bubi" Hartmann, 1922年4月19日 - 1993年9月20日)は、ドイツ空軍の軍人。第二次世界大戦時のドイツ空軍のトップ・エースであり、空中戦での撃墜機数は戦史上最多である。
- ^ 初撃墜から150機撃墜までの記録が残っている。352機までの記録も存在したが、こちらは終戦時に米軍あるいはチェコスロバキア軍により接収され行方不明
- ^ 但し一度だけ僚機が撃墜された事がある。戦争末期戦闘機パイロットの補充のため爆撃機パイロットであったギュンター・カピト少佐が機種転換訓練も受けずにハルトマンの戦隊に配属された。ハルトマンは出撃しても生き残れないと考え彼の出撃を制限していたが、10歳以上年長でかつ階級も上の彼の出撃を認めよとの催促に負けて僚機として出撃を許可した。しかし、彼はソ連のエースパイロット機に撃墜されてしまう。幸い不時着し事無きを得た。なお、戦後ハルトマンと一緒に捕虜となり10年抑留生活を送ったが、彼はハルトマンに対してこの時のことについて感謝の意を示している。事実、ハルトマンの僚機を務めた者で彼と行動中に戦死した者はいない。
- 1 エーリヒ・ハルトマンとは
- 2 エーリヒ・ハルトマンの概要
- 3 生涯
- 4 第二次世界大戦での戦闘記録
- 5 戦術
- 6 逸話
- 7 脚注
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