第44戦闘団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 02:05 UTC 版)
第44戦闘団(JV44/Jagdverband 44)とは、第二次世界大戦末期にドイツ空軍で設立された防空戦闘団。アドルフ・ガーランド中将を初めとするエース・パイロットが集められており、また史上初の実用ジェット戦闘機であるMe 262シュヴァルベを優先的に使用することができた。
- 1 第44戦闘団とは
- 2 第44戦闘団の概要
第44戦闘団(JV44)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
「アドルフ・ガーランド」の記事における「第44戦闘団(JV44)」の解説
ガーランドの戦闘機隊総監の解任を受けてシュタインホフ大佐、リュッツォー中佐ら飛行団長がゲーリングを弾劾した。そのため1945年3月ガーランドはジェット戦闘機隊の第44戦闘団(Jagdverband 44、略号JV44)の司令官に任じられ、人選の自由裁量権を与えられた。ガーランドは名だたるエース達に声をかけゲルハルト・バルクホルン(撃墜301機)、ハインツ・ベーア(同220機)、ヴァルター・クルピンスキー(同197機)、ヨハネス・シュタインホフ(同176機)、ギュンター・リュッツオウ(同108機)といったトップ・エースがJV44へ編入した。部隊員の大半が騎士鉄十字章受章者だったため、騎士鉄十字章戦闘機隊とも呼ばれた。中にはエーリヒ・ハルトマンのように断った者もいた。JV44 の部隊番号は、一説にはスペイン内戦時のJGr88にあやかり、せめて半分の成功を収められれば、という事で命名されたという。また、44(vier und vierzig / フィーア・ウント・フィーアツィヒ)には総統(Führer / フューラー)2人分、という洒落も込められているという。 4月からJV44は迎撃任務を開始しガーランド自身もメッサーシュミット Me262に乗って出撃した。4月16日ガーランドはB-26を撃墜し、撃墜100機を達成した。4月26日、アメリカ軍の爆撃機編隊に攻撃を仕掛け2機を撃墜。しかし、護衛のP-47に攻撃されて被弾し、不時着を余儀なくされた。着陸時に頭を負傷したガーランドはドイツ南部のバイエルン州の病院に入院。しかし5月14日、ガーランドは入院したままアメリカ軍の捕虜となってしまう。戦争を通してのガーランドの戦績は出撃回数705回、撃墜数104機であった。
※この「第44戦闘団(JV44)」の解説は、「アドルフ・ガーランド」の解説の一部です。
「第44戦闘団(JV44)」を含む「アドルフ・ガーランド」の記事については、「アドルフ・ガーランド」の概要を参照ください。
- 第44戦闘団のページへのリンク