防衛飛行中隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 02:21 UTC 版)
「ハインツ・ザクセンベルク」の記事における「防衛飛行中隊」の解説
1945年にザクセンベルクは短期間だけ第7戦闘航空団(JG 7)に所属したが、4月には第44戦闘団(JV 44)に異動した。ザクセンベルクの任務はメッサーシュミット Me262ジェット戦闘機の上空援護であり、Fw 190 D9戦闘機を装備する防衛飛行中隊の飛行中隊長(Staffelkapitän)に任命された。ザクセンベルクの搭乗するFw 190 D9は機番が"赤 1"として知られ、胴体には「死んだら俺の衣類は売り払ってくれ!("Verkaaft's mei Gwand 'I foahr in himmel!")」という碑文が書かれていた。 防衛飛行中隊の機体は地上要員からの判別がし易いように下面が赤色で塗装され目立つ白色の線が引かれていた。「オウム飛行隊(Papagei Staffel)」の伝説の誕生であった。(この名称は戦後に付けられたものであり、飛行隊員自身では使用されなかったので非常に紛らわしい)この様式で機体を塗装することに決めたのはパイロット達自身であり、恐らく失敗に終わったボーデンプラッテ作戦に於いて多くのドイツ軍機が味方対空砲火の誤射により失われた結果を受けてのことであった。 ジェットエンジンは応答が鋭敏では無く機敏に加減速が出来なかったため離着陸時のジェット機は連合国軍の地上攻撃機による機銃掃射に対して脆弱であり、これの「離着陸援護(Start- und Landeschutz)」が防衛飛行中隊の任務であった。飛行場周辺に配された小口径と中口径の対空砲と共にJG 52と第54戦闘航空団(JG 54)の一部がジェット戦闘機の離着陸段階を援護する防衛任務に割り当てられていた。JV 44は自前の防衛飛行中隊を持つ特殊な例であった。
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