義利合一と至誠惻怛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:15 UTC 版)
方谷の「理財論」と「擬対策」は後に、弟子の三島中洲の「義利合一論」へと発展し、三島が拓いた私塾である二松学舎を通して渋沢栄一を初めとする関係者たちに伝えられ、彼らを通して日本の財界に深い影響を与えることになった。 至誠惻怛(しせいそくだつ)という真心と慈愛の精神を説いたことでも知られる。例えば、他人を小人呼ばわりした三島中州に「世に小人無し。一切、衆生、みな愛すべし。」と戒めたという。のち至誠惻怛の精神は福西志計子らを通して石井十次、留岡幸助、山室軍平、中島重らに影響を与えていった。それはとりもなおさず、日本の福祉の歴史においても大きな影響を与えたことを意味する。
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