阪谷朗廬とは? わかりやすく解説

阪谷朗廬

読み方さかたに ろうろ

幕末・明治儒者漢学者備中生。名は素、字は予絢。大塩平八郎師事し、のち江戸出て昌谷精渓・古賀侗庵に学ぶ。詩文優れ、また遊歴好み紀行文能くした。明治14年(1881)歿、59才。

阪谷朗廬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 20:53 UTC 版)

阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、旧字体: 阪谷 朗󠄃廬1822年12月29日文政5年11月17日[1] - 1881年明治14年)1月15日[2])は、日本漢学者儒学者江戸時代末期は教育者として、明治維新後は官吏としても活動した。東京学士会院議員。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 大月明「変革期における思想の形成(一) : 阪谷素の場合」『人文研究』第12巻第8号、大阪市立大学文学会、1961年、807-819頁。 
  2. ^ 大月明「明治期における阪谷素の思想について : 『明六雑誌』・『洋々社談』からみた」『人文研究』第14巻第6号、大阪市立大学文学会、1963年、535-558頁。 
  3. ^ 『修道学園史』(昭和53年)384頁
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.35


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