菅原道真と牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:00 UTC 版)
菅原道真と牛の関係については多くがあり、その深い結びつきから御神牛が置かれるようになった。 菅原道真公は承和12年(845年)乙丑6月25日丑の日に生まれた。 丑年生まれであったため、牛をかわいがっていた。 左遷により大宰府に赴く途中、牛の鳴き声で刺客から逃れることができた。 道真公は延喜3年(903年)2月25日丑の日に亡くなった。 道真公の「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」という遺言により、遺体は道真の住んでいた榎社から牛車で運ばれたが、四堂という場所で牛が動かなくなったため、その地を墓地として埋葬した。 延喜5年(905年)の乙丑8月19日、門弟である味酒安行は道真を埋葬した場所に神廟を建てた。それが安楽寺であり、のちの太宰府天満宮の本殿である。 「北野天神縁起絵巻」では牛車で道真公の亡骸を運び、牛がうずくまる横で埋葬するための穴を掘る場面が描かれている。御神牛の多くが臥牛像であるのはここからきている。 のちに道真が神として祀られると、雷神であると同時に農業の守り神としても信仰されてきたが、農耕において牛は重要な働き手であることから、天満宮では神の使いとして信仰の対象となった。 天神様の正式な神号「天満大自在天神」の由来とされる仏教の守護神「大自在天」は白牛に乗っている。
※この「菅原道真と牛」の解説は、「御神牛」の解説の一部です。
「菅原道真と牛」を含む「御神牛」の記事については、「御神牛」の概要を参照ください。
- 菅原道真と牛のページへのリンク