和泉流宗家継承騒動
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かつて中絶した和泉流宗家を誰が継ぐかを巡って、三宅藤九郎家の長男(元彌の父・元秀)と野村万蔵家の四男との間で争いがあったが、元秀が後を継ぐこととなり(当時6歳)、19世宗家となっている。元秀は実弟の三宅右近(9世三宅藤九郎の次男)に対して破門騒ぎを起こしたり、流内の反対を押し切って長女・淳子と次女・祥子を狂言師とした上、祥子に10世・三宅藤九郎を継がせたりするなどし、物議を醸していた。 1995年6月22日、元秀が公演中に倒れると、和泉家は親子で出演を予定していた27〜29日の狂言ライブを即座に宗家襲名披露公演とし、21歳の元彌が「和泉流二十世宗家」を名乗った。6月30日に父が他界すると、この公演が宗家襲名披露として後見人を立てるなどの手続きがなく能楽宗家会の了承も得ていないことが判明し、問題となった。 元秀の死後に結成された和泉流職分会(会長:野村萬〔野村万蔵家〕、代表幹事:井上祐一、幹事:野村万之丞〔野村万蔵家〕)は、会員53人中48人が元彌の宗家継承に反対。「芸が未熟なので、先輩に学んで実力をつけてからではどうか」とも提案したが、和泉家側はこれを拒否、「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を商標登録出願する挙に出た。 和泉家側のこの行為に職分会は反発した。職分会は元彌に話し合いを呼びかけたが和泉家側は拒否し、商標登録出願については能楽宗家会から保留裁定が出ていたにもかかわらずこれを維持した。 これらの行為に業を煮やした職分会は2002年3月、会長・野村萬を筆頭に48人の連名で、社団法人能楽協会に元彌の除名を申請した。その理由として、公演のドタキャンや遅刻、協会の批判などで「狂言の伝統と秩序を乱している」ことを挙げた。 5月1日、能楽協会は審査委員会の設置と能楽宗家会での事情聴取を決定。 5月28日、能楽宗家会にて元彌の事情聴取が行われた。 6月7日、元彌は会見で宗家継承の正当性を主張した。 7月3日、能楽協会は定例理事会で「和泉元彌審査会」を設置。 7月10日、能楽協会は元彌に話し合いを求める書面を書留速達で送る。 7月20日、元彌から「公演があるので出られない」との回答が能楽協会まで電報で届く。 7月23日、能楽協会は質問事項が書かれた内容証明とファクスを元彌側に送付した。なお「回答はファクスでもいい」としていた。締切25日。 7月23日、職分会が元彌の商標登録の取り消しを求める訴えを起こす。 7月25日、回答がないため期限を31日まで延長。 7月29日、元彌は、能楽協会に自身の除名申請をした職分会代表幹事の井上祐一を、7月末日をもって破門とする旨の内容証明を送付した。文面は「和泉流宗家として現在の流内の混乱を心配している…」から始まっていた。これについて井上は、元彌は能楽協会や能楽宗家会から宗家と認められていないので破門する資格がない、とこれを否定した。 7月31日の期限までに、元彌の代理人の弁護士から元彌側の主張を一方的に述べた内容の文書が届いただけで質問への回答は無かった。 8月2日、回答がないため、能楽協会は元彌抜きで除名手続きを進める方針を明らかにした。 10月21日、能楽協会は臨時総会を開催、総会では1100対26という大差で元彌の「退会命令」処分を決定した(「退会命令」とは「除名」の次に重い処分であるが、復帰の可能性は残されている)。 10月30日、元彌は「意見を述べる場などを設けていない不当な退会処分」として、能楽協会を相手に損害賠償と退会処分取り消しを求めて東京地裁に提訴した。1審・2審で元彌側は「能楽協会幹部の『(元彌は)和泉流二十世宗家ではない』との発言は不当」などと主張したが、1審・2審とも「協会内では原告は宗家と認められていない」と指摘、退会命令も適法と判断した。2006年6月9日、最高裁は原告の請求を棄却、これにより元彌の能楽協会退会は確定した。 2009年現在、和泉流は1995年の元秀死去後、能楽に関する決め事については、職分会における会員合議制を取り、宗家を置いていない。また能楽協会・能楽宗家会・和泉流職分会とも、元彌を和泉流宗家とは認めていない。したがって、和泉元彌は「和泉流二十世宗家 和泉元彌」と「株式会社和泉宗家」として「宗家」を名乗ってはいるものの、能楽界で彼を宗家と認める団体は存在しない。ただし、これには狂言活動自体への拘束力はなく、二十世宗家を名乗ること自体は可能である。 なお、元彌側は十九世宗家和泉元秀の嫡男であること、つまり血統を根拠に宗家継承の正当性を主張している。これに対し職分会側は、宗家継承にあたっては永年の伝統として流儀内の総意が必要で、その手続きが全く踏まれていないので宗家とは認められない、としている。
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