現三宅藤九郎家(和泉家)
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和泉流宗家山脇和泉家は、明治維新後東京に移住したのち、十世山脇元照をもって後嗣が絶え、十一世山脇元康が十世の遺子と縁組みをして宗家を継承したものの、女性問題や芸力の不足によって流内の統一をはかることができず、ついに狂言を廃して、和泉流は宗家不在の状態となった。 宗家の断絶後、流内では野村又三郎家、三宅藤九郎家、野村万蔵家といった有力な職分家が活発に活動していたこともあり、宗家の不在は長らくつづいたが、1943年、流内の同意を得て、九世三宅藤九郎の長男保之(当時6歳)が、九世山脇元清の娘の養子に入って十九世宗家山脇元秀、のち和泉元秀を名乗る。 1995年の元秀急逝の後、長男・和泉元彌がこれを継承したと宣言した。ところが元彌は流内の同意を得ていなかった。たびたびトラブルを起こしたこともあって、2002年に能楽協会からは退会命令(「除名」の次に重い処分、復帰の可能性は残されている)の処分を受け、流内職分からは宗家相続無効を主張された。元彌側は裁判で争ったが敗訴、元彌の能楽協会退会が確定した(詳細は和泉元彌#和泉流宗家継承騒動を参照)。元秀の娘二人も狂言師となり、次女が十世三宅藤九郎を名乗っている。
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