九世三宅藤九郎
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(明治34年(1901年)3月18日 - 平成2年(1990年)12月19日)。 和泉流狂言師。重要無形文化財保持者(人間国宝)。東京都出身。五世野村万造の次男。六世野村万蔵の弟。初名・野村万介。三宅家の弟子家である野村家出身。 1905年に「靭猿」で初舞台、1936年に歌舞伎で初めて女の名題となった尾上菊枝と結婚し、夫婦で師家である三宅家・八世三宅惣三郎信之の娘みねへ養子に入り、1940年に九代目三宅藤九郎を継いだ。息子に和泉元秀(和泉流十九世宗家。旧名三宅保之)と三宅右近がいる。また、孫に十世三宅藤九郎、和泉元彌がいる。 狂言の研究家としても名を成し、『ぼうふり』を始めとする新作狂言を多数作り、また上演されなくなった狂言の復曲も行った。その業績を評価され、人間国宝に認定される。1989年に隠居して七世三宅庄市を襲名。1990年、89歳で死去。 映画『狂言師・三宅藤九郎』がある。
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