宗尊親王将軍記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:59 UTC 版)
八代国治や原勝郎が指摘した文章・内容の「つまらなさ」が極まったのがこの時期である。しかし事実の記録としては信頼度は高いといえる。五味文彦は、この部分は御所奉行の筆録が中心で、弘長3年(1263年)7月5日までは二階堂行方、その後は御所奉行を引き継いだ中原師連の記録と推定している。
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