能楽の担い手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 04:32 UTC 版)
能楽を演ずる者には能楽協会に所属する職業人としての能楽師(いわば玄人)の他、特定の地域や特定の神社の氏子集団において保持されている土着の能・狂言・式三番を演じる人々、能楽協会会員に月謝を払って技術を学ぶ素人(アマチュア)の愛好家、学生(大学・高校)能サークルが存在する。アマチュアの愛好家の中には能楽を職業とする、いわゆる玄人に転ずる者も見られる。 能楽協会会員、すなわち能楽を職業とする能楽師およびアマチュアの彼らの弟子たちの職掌は、「シテ方」「ワキ方」「囃子方」「狂言方」の4種類に分けられる。「囃子方」の中には更に「笛方」「小鼓方」「大鼓方」「太鼓方」の4種類の技能集団がある。「ワキ方」「囃子方」「狂言方」は「三役」と呼ばれる。これらの技術は歴史的に数多くの流派を生み出してきたが、現在までに廃絶した流派も存在している。通常、ある流派を学んでいる人が他の流派に移ることは無いが、ごく稀に例外として分派独立を許される者(江戸期における喜多流の分派)や、各流派の宗家の了承を得て移籍を果たす者(観世栄夫;観世榮夫、喜多流時には後藤榮夫)も見られる。 各流派の最高指導者は宗家と呼ばれる。宗家は他の伝統芸能における家元に相当する。また各流派には宗家以外にも江戸期に各地の大名家に仕えて能楽の技術指導を行ってきた由緒ある家柄が存在しているが、こうした家を職分家と呼ぶ。 宗家の権力は強大であるが、時に職分家集団によって無力化されることがあり、近年では喜多流の職分家集団が一斉に宗家・16世喜多六平太の主宰する「喜多会」を離脱し、その後宗家および実弟が逝去して後継者が不在となったため、喜多流職分会が事実上喜多流を運営している。また和泉流においても十九世宗家の和泉元秀の嫡男である和泉元彌の宗家継承が認められず、最終的に能楽協会退会に追い込まれる事態となった。 何らかの事情で宗家が存在しなくなった場合には、一門中の有力者が「宗家預り」として宗家の代行を務める。また宗家が何らかの事情で宗家としての仕事を遂行出来なくなった場合には、「宗家代理」が立てられることもある。 能楽は、俳優(「シテ(仕手/為手)」)の歌舞を中心に、ツレやワキ、アイ狂言を配役として、伴奏である地謡や囃子などを伴って構成された音楽劇・仮面劇である。舞と謡を担当し、実際に演技を行うのがシテ方、ワキ方および狂言方であり、伴奏音楽を担当するのが囃子方(笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方)である。 能では、シテ方が中心的存在であり権限も大きいが、シテ方やワキ方だけでは実際の演奏はできず、囃子方、狂言方の協力が不可欠である。通常、ワキ方、囃子方、狂言方を総称した呼び方の「三役」に、シテ方より役目の依頼をかける。
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