能楽の流派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:24 UTC 版)
能楽の流派は大和猿楽四座の系統の流派と、それ以外の日本各地の土着の能に分けられる。 大和猿楽四座とは観世座、宝生座、金春座、金剛座であるが、更に江戸期に金剛座から分かれた喜多流の五つを併せて四座一流と呼ぶ。喜多流は金剛流より出て、金春流の影響を受けつつ江戸期に生まれた新興の一派であって、明治期に至ってほかの四流と同格とされた。喜多流は創流以来座付制度を取らず、「喜多座」と呼ばれることはなかったので、五座ではなく四座一流となる。 四座のうち奈良から京都に進出した観世、宝生を上掛りと呼び、引き続き奈良を根拠地とした金春、金剛を下掛りと呼ぶ。喜多は下掛りに含む。 大和猿楽四座は豊臣秀吉が政策的に他の猿楽の座(丹波猿楽三座など)を吸収させた為、江戸時代に入る頃には事実上、日本の猿楽の大半を傘下におさめていた。現在、四座一流の系統の能楽師たちは社団法人能楽協会を組織しており、能楽協会に加盟・所属している者が職業人としての能楽師と位置づけられている。 一方、大和猿楽四座に統合されなかった能楽が残存している地域もあり、四座一流では演じられない曲目や、その地域独特の舞いを見ることが出来る。有名なものとしては、山形県の春日神社に伝わる黒川能、黒川能から分かれた新潟県の大須戸能などがある。 なお、能楽協会所属の能楽師によって上演される能楽においては、能楽全体の流儀はシテ方の流儀によって示される。また能に限り、家元を宗家と称する。これは江戸期に観世家に限り分家(現在の観世銕之亟家)を立て、これをほかの家元並みに扱うという特例が認められたことに基づくものである。分家に対し、本家が「宗家」と称したのがやがて「家元」の意味で用いられるようになったものである。現在では、同姓の分家との関係で用いられないかぎり、ほぼ「家元」の言いかえである。
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