紀州藩御用達へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:38 UTC 版)
5代目岡本善右衛門の時の1589年(天正17年)に京町に移り伏見の桃山城の正門前に店を構えており、紀州徳川家の祖・徳川頼宣がまだ幼年で山城国伏見(今の京都市伏見区)にいた頃にその菓子を食べて大変好むようになったと云われる。 そのため、駿河(現在の静岡県)に転封になった際にも徳川頼宣に随伴した。 さらに、紀伊(現在の和歌山県)に転封されるとまた随伴し、1619年(元和5年)に和歌山駿河町に屋敷を賜って同地に店舗を開いた。 そして、江戸時代には年二十五石の扶持を受け取って菓子を納める御用菓子司を務めた。 このように、紀州藩となる前の旧藩時代から続いた御用菓子司であり、このような駿河から紀伊への徳川頼宣の転封に随伴した「駿河越町人」と呼ばれる紀州徳川藩の有力な御用商人の一人であった。
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