紀州藩時代とは? わかりやすく解説

紀州藩時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:04 UTC 版)

実成院 (徳川家茂生母)」の記事における「紀州藩時代」の解説

文政4年1821年)に松平六郎右衛門の子として生まれ天保3年7月1日1832年)に紀州徳川家お次出しとなり、側詰となり、天保5年1834年)に中臈となって後に藩主徳川斉順側室となる。 天保14年8月28日1843年)に伊曾姫を出産し同年11月24日若年寄格となるが、天保15年1844年)に伊曾姫は夭折するその後弘化2年1845年)に斉順の正室豊姫が、弘化3年1846年5月には斉順も死去する。しかし、その年のうちに江戸赤坂紀州藩邸で菊千代(のちの慶福家茂)を生む俗に紀州蜜柑に種が有るといわれる。 しかし、そのときには既に斉順は没しており、後継徳川斉彊の命で、菊千代養育のため剃髪預かりになる。斉彊が没し菊千代が斉彊を継いで数え4歳13藩主となり、元服して慶福と名を改め家督を継ぐと、落飾して実成院院号名乗った安政5年1858年)、慶福14代将家茂として13歳江戸城に入ると、文久元年2月16日から18日1861年)に実成院将軍生母として兄の庸とともに江戸城本丸引き取られ大奥入った

※この「紀州藩時代」の解説は、「実成院 (徳川家茂生母)」の解説の一部です。
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