紀州藩士報復説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:05 UTC 版)
紀州藩、ないしは紀州藩士による報復行動だとする説。 海援隊隊士の陸奥陽之助(陸奥宗光)らは、海援隊と紀州藩の間に起こり、海援隊側の勝利に終わった訴訟「いろは丸事件」に対する、紀州藩士の恨みによる犯行であると考えていた。また谷干城の回想によれば、紀州藩公用人の三浦休太郎(三浦安)と新選組が共謀して起きたという噂が当時から出回っており、現場に残された鞘も紀州藩士がよく使うものであったという。そのため三浦が海援隊隊士らに襲撃され、護衛を依頼されていた新選組との間に戦闘が起こる事件(天満屋事件)が発生した。
※この「紀州藩士報復説」の解説は、「近江屋事件」の解説の一部です。
「紀州藩士報復説」を含む「近江屋事件」の記事については、「近江屋事件」の概要を参照ください。
- 紀州藩士報復説のページへのリンク