松平頼英とは? わかりやすく解説

松平頼英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 13:12 UTC 版)

 
松平 頼英
松平頼英
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保14年9月22日1843年10月15日
死没 明治38年(1905年12月3日
改名 勇之進(幼名)、頼英
戒名 徳本院殿頼英義道日慈大居士
墓所 東京都大田区池上本門寺
官位 従四位下左近衛権少将侍従正三位
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
伊予西条藩
氏族 紀州徳川家支流西条松平家
父母 父:松平頼学、母:山野井氏
兄弟 靖姫、久松丸、銐丸、充千代、粒姫、悌姫、徳之丞、頼英徳川茂承
正室:阿部正備の長女・貞子
側室:奥田氏
鏺姫、哲丸、猪久姫、澄子、輝子
養子:頼和
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松平 頼英(まつだいら よりひで)は、江戸時代後期の大名伊予西条藩の第10代(最後)の藩主、のち藩知事子爵

生涯

天保14年(1843年)9月22日、西条藩9代藩主・松平頼学の五男(六男との説もある)として誕生した。幼名は勇之進。4人の兄や頼学の婿養子であった頼永の早世などにより世子となる。

文久2年(1862年)11月21日、父の隠居により家督を継いだ。明治元年(1868年)の戊辰戦争では、親藩ながら官軍側に与している。明治2年(1869年)6月、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官されて東京府へ移った。明治17年(1884年)に子爵となる。

明治38年(1905年)12月3日、死去した。享年63(満62歳没)。

栄典

系譜

脚注

  1. ^ 『官報』第1351号、「叙任及辞令」1887年12月28日。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
西条松平家初代
1884年 - 1905年
次代
松平頼和




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