紀州監視の岸和田城とは? わかりやすく解説

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紀州監視の岸和田城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:44 UTC 版)

岸和田城」の記事における「紀州監視の岸和田城」の解説

岸和田城大坂城和歌山城中間地点にあり、通説では岡部宣勝徳川家康の妹の子で、紀州藩監視の意味もあったとされる徳川御三家一つである和歌山城徳川幕府相互監視政策例外無く徳川家康の子徳川頼宣抑えの城としても城郭整えられたのでは思われている。『深訪日本の城』によると、江戸城徳川頼宣岡部宣勝対面した時、徳川頼宣が「貴殿岸和田移封されたのは、われらの目付のためだという風聞であるが、いかなる計策をもって紀伊をおさえるつもりか」と問いかけてきたのに対して岡部宣勝は「われら小藩のものが、大大藩の貴殿のおさえるほどの策略持ち合わせるきずもござらぬが、ただ足の裏米粒がついたぐらいのことしかできませぬ」という返事をした、と解説している。このようなやり取りがあったと思われているが両藩は戦を交えることはなかった。 しかしながら岸和田城縄張和歌山側より大坂側に厚い防御線を設けていることなど、矛盾する点も指摘されている。

※この「紀州監視の岸和田城」の解説は、「岸和田城」の解説の一部です。
「紀州監視の岸和田城」を含む「岸和田城」の記事については、「岸和田城」の概要を参照ください。

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