縄張とは? わかりやすく解説

なわ‐ばり〔なは‐〕【縄張(り)】


縄張

読み方:ナワバリ(nawabari)

築城における曲輪出入口配置法。


縄張

読み方:なわばり

  1. 自分の勢力範囲をいふ。
  2. 不・犯勢力範囲のことを云ふ。又は自分達の仕事をする定つた場所のこと。昔博徒戸外で賭博開帳しときには周囲に縄を張つたことから起つものである
  3. 博徒暴力団勢力或は分と称する関係地域のこと。三島
  4. 博徒暴力団勢力或は乾分兄弟分称する関係地域三島
  5. 博徒暴力団勢力範囲、又はその地域のこと。〔一般犯罪
  6. 博徒的屋暴力団等の勢力範囲。縄を張りめぐらした形容中には他の者を入れないところより。〔盗〕

分類 不/犯、俗語犯罪、盗/犯罪

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縄張り

(縄張 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:43 UTC 版)

縄張り(なわばり)あるいはテリトリー (territory) とは、動物個体あるいはグループが、直接に防衛するかあるいは信号を通じて他個体を排斥し、排他的に占有する地域のことである[1]。縄張りを作ることを、縄張り行動という。日本語のこの言葉自体は日本人が古来土地の所有権を示すために縄を張った事に由来するものである。




「縄張り」の続きの解説一覧

縄張(基本配置)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:49 UTC 版)

北西側筑後川天然の堀とし、比高差約15メートル川沿い丘陵頭頂部平坦にして本丸築かれ、その南側二の丸三の丸外郭(四の丸)、柳原配され連郭式平山城であった天守はなく、本丸二重の多聞櫓連結され三重が各隅に7棟配されていた。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:14 UTC 版)

詳細は「曲輪#縄張と主要な曲輪を参照 築城に際して基本設計を縄張(なわばり)あるいは径始・経始(けいし)といい、その中心は曲輪配置にあった。“縄張”の語源曲輪配置実地で縄を張って検証したことに由来するとされる近世に入ると、軍学者たちにより、様々な分類分析なされた。縄張の基本的な形式としては、曲輪本丸二の丸三の丸同心円状配置する輪郭式りんかくしき)」、山や海・川背後に置き(後堅固本丸その方向に寄っている「梯郭式ていかくしき)」、尾根上などに独立した曲輪連ねる連郭式れんかくしき)」などがあるが、実際にはそれらの複合形を取ることが多い。 曲輪 詳細は「曲輪を参照 堀や土塁石垣囲まれ区画曲輪・郭(くるわ)といい、城はこの曲輪いくつも連ねることで成り立っていた。江戸時代には丸(まる)ともいわれた。防御中心となる曲輪本丸(=本曲輪主郭)であり、他に二の丸三の丸設けられることが多かった。城によっては、曲輪水手曲輪天守曲輪西の丸大名隠居所)などが設けられることもあった。馬出うまだし)が大規模化したもの馬出曲輪、ある城に隣接している独立性の高い曲輪出曲輪出郭でぐるわ)、出丸(でまる)という。大坂の陣真田丸熊本城西出丸といったものがある。 一般に山城では各曲輪面積狭く設置可能な施設限られていたが、平城では各曲輪面積広く御殿など大規模な施設設置可能であった外郭 詳細は「総構えを参照 城が中世臨時的な軍事基地から恒久的な統治拠点になると城下町家臣団防備目的で従来の城の機能的構成部分内郭)から、さらにもう一重外側に防御線設けられることがあった。これを「外郭がいかく)」または「外曲輪(そとくるわ)」「惣構そうがまえ)」などという。普通、城という場合内郭だけを指し外郭天然地勢山・河川)をも含むため、どこまでをいうのか不明瞭なものもあった。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:16 UTC 版)

正保城絵図安芸国広島城絵図』。広島藩に関する絵地図の内、最も信頼性の高い地図当時再現した模型。 「総構え」も参照 藩政時代広島城は、福島正則輪郭式平城として整備したものであり、内堀中堀外堀のある約1キロメートル四方の、広さ90万平メートル規模があった。広島城中心とした絵地図では東西南北基準整備されている様に書かれているが、上記空中写真および左絵地図東西南北表記でも分かるとおり実際には18度時回り方向傾いているその理由について書かれ文献はなく、当時本川旧太田川)と京橋川そして城北川下記島普請参照)に囲まれていた地形的制約から配置決まったものと推定されている。 『広島藩覚書帖』によるそれぞれの曲輪規模以下のとおり(間および町は尺貫法単位)。 尺貫法メートル法換算本丸 東西95間×南北120間 173m×218m 二の丸 東西43間×南北25間 78m×45m 三の丸 東面250間 , 西面270間 , 南面285間 455m , 491m , 518m 外郭大手東面8町30間 , 西面12町 南面6町 , 北面6町30間 927m , 1309m 655m , 709m 二の丸は「馬出」と呼ばれる曲輪で、広島城特徴一つである。毛利氏による築城当初は存在せず後の改修により造られたもので、1598年慶長3年)から1600年慶長5年)の間に造られたと考えられている。外堀は、南端今の相生通り北端はほぼ城北通り東端白島通り1本西側道路の更に内側敷地にあたり北側一部白島通りに一致し本川西側外堀位置づけていた。また正則は、ここより西の大名(主に周防長門転封した毛利氏)からの攻撃想定し、特に西側増強している。それは本川沿いの数や西側馬出窺い知る事ができる。更に本川挟んだ西側には城の防衛目的安芸門徒に対して)で町割り本願寺広島別院などの寺を集中させ寺町作っている。 広島市には城が由来地名残っている。「八丁堀」「薬研堀」などの地名は堀があった名残である。八丁堀の「京口門」バス停留所は、城から東方向京都)へ向かう門があった場所にある。本通り毛利氏による城下町整備際にできた通りである大手町通り北端現在の紙屋町西交差点あたりに大手門があった。 鬼門にあたる二葉山には藩主加護により多くの神社仏閣建てられ明星院(輝元の生母妙寿院位牌所)、広島東照宮饒津神社尾長天満宮國前寺(以上浅野氏関連)、などが置かれた上記の通り地形的制約から縄張が決まった推定されていることから四神相応曖昧で裏鬼門己斐松山旭山神社)や厳島厳島神社)など諸説唱えるものがいる。なお天守正面から見て似島安芸小富士がやや左手見えていた。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:10 UTC 版)

一般に日本の城は堀と塁で区画し曲輪組合せからなる城の中心となる主郭本丸)を守るように、曲輪配置大きさ平面の形、高さ、堀の深さや幅などのほか、建物位置規模、形も設計する。この作業を縄張(なわばり)という。 城跡地図記号「⛫」はこの縄張に由来している。動物縄張りテリトリー)にも、この用語が転じて使われている。

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縄張(基本配置)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 05:23 UTC 版)

浜田市中心部にある浜田川囲まれ標高68メートル独立丘陵頭頂部平坦にして本丸築かれ本丸南側に狭い二の丸三の丸西側出丸配され梯郭式平山城北部松原湾、東部浅井川南部西部浜田川によって天然の掘としていた。城下町は城の周囲武家屋敷を、浜田川以南町屋設けられていた。本丸には天守設けられていた。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:10 UTC 版)

一般に日本の城は堀と塁で区画し曲輪組合せからなる城の中心となる主郭本丸)を守るように、曲輪配置大きさ平面の形、高さ、堀の深さや幅などのほか、建物位置規模、形も設計する。この作業を縄張(なわばり)という。 城跡地図記号「⛫」はこの縄張に由来している。動物縄張りテリトリー)にも、この用語が転じて使われている。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 04:26 UTC 版)

城郭形式平山城。城の北部皆瀬川流れ天然の堀の役目担っていた。現在は城全体千年公園として整備されている。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:07 UTC 版)

城郭形式輪郭式平城本丸中心として周り二の丸三の丸囲い土塁3重に、堀を4重に廻らされていた三の丸の堀の西側南北水路流れていた。春日井市内では最古の城で、市の中南部にある春日井駅のすぐ南側位置しており、城の東部内津川庄内川南北流れている。城が建てられる以前はゆるやかな傾斜がある湿地帯であった推測されている。

※この「縄張」の解説は、「上条城 (尾張国)」の解説の一部です。» 「上条城 (尾張国)」の概要を見る


縄張(基本配置)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:49 UTC 版)

北西側筑後川天然の堀とし、比高差約15メートル川沿い丘陵頭頂部平坦にして本丸築かれ、その南側二の丸三の丸外郭(四の丸)、柳原配され連郭式平山城であった天守はなく、本丸二重の多聞櫓連結され三重が各隅に7棟配されていた。

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縄張(基本配置)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:49 UTC 版)

北西側筑後川天然の堀とし、比高差約15メートル川沿い丘陵頭頂部平坦にして本丸築かれ、その南側二の丸三の丸外郭(四の丸)、柳原配され連郭式平山城であった天守はなく、本丸二重の多聞櫓連結され三重が各隅に7棟配されていた。

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縄張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:42 UTC 版)

縄張の形式本丸四方を二の丸取り囲む輪郭式」に分類されるが、本丸中央より西寄り配されている。本丸は約150メートル四方のほぼ正方形であり、本丸と二の丸間に内堀が、二の丸周りには外堀造られている。二の丸本丸北と南にある仕切門によって東西分かれている(この西側部分を「西の丸と呼ぶ資料もある)。家康による創建時現在の二の丸東側部分本丸であり、本丸のみで構成される「単郭式」であった大手門前の広場堀川通隔てて堀川流れているが、総郭とまでは言えないものの堀川第一防御線として想定されていた可能性はある。実際江戸時代には西堀川通(=現堀川通)の南北に通行を妨げる「釘抜き」が設けられ大手門前の広場町民立ち入ることができなかった。なお家康による第1期二条城絵図面の類は見つかっておらず、その内の様子はよくわからない二条城敷地は、現在の京都市街にもほぼ受け継がれている平安京町割りに対して時計回りに約3度傾きがある。これは、宣教師によって日本もたらされた方磁石普請際に用いたためのとの説があるが、証拠はない。もしそうなら南北明瞭な当時京都でなぜわざわざ磁石使ったのかという疑問新たに生じる。また現在のところ方位磁石慶長7年以前に家康周辺もたらされていた証拠はなく、その以降幕府造営磁石使用され事実確認されていない発掘された二か所聚楽第石垣にともに正方に対し時計回り方向に約3度傾きがあることが認められ、また聚楽第周辺の街路同様に数度傾きを持つことから、この傾き作ったのは秀吉で、家康がその傾き継承した可能性があるとの指摘がある。 将軍滞在の城としては規模小さく防御能力問題ありそうだが、家臣疑問に対し家康は「一日二日持ちこたえれば周辺から援軍が来る」「万が一この城が敵の手落ちたら堅城だと取り返すのに手間がかかる」と答えた伝えられる

※この「縄張」の解説は、「二条城」の解説の一部です。» 「二条城」の概要を見る

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