縄張と遺構・遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/10 17:32 UTC 版)
「勝山城 (甲斐国都留郡)」の記事における「縄張と遺構・遺物」の解説
勝山城の城域は東西約580メートル、南北約640メートル、周囲約2キロメートルで、面積は25万立方メートル。山頂に削平された平坦地があり、中央に本丸・二の丸・三の丸が所在する。 周辺には北尾根・東尾根・南尾根にそれぞれ曲輪群が存在し、本丸西側には内堀が存在する。城山の南から東・北側は桂川が天然の堀となっており、南から西側は一部人工的な開削による外堀も確認される。 発掘調査により本丸には構造物の存在を示す柱穴跡のほか南西隅には櫓台遺構、西側には織豊期の特徴を示す高石垣が確認され、甲斐国においては甲府城が総石垣の城郭であるが、勝山城も浅野氏時代に石垣が修築されたと考えられている。絵図類においては石垣は北側においても描かれているが、確認されていない。櫓台遺構は石垣を用いない土盛で、瓦類は検出されていない(櫓台遺構は山梨県では勝山城跡のほか武田氏館跡と瓦類を伴出する石垣構造と櫓台遺構を備える甲府城跡のみにおいて確認されている)。ほか、土塁、堀切の一部も確認される。 高石垣・櫓台遺構の存在から勝山城には谷村城下と逆側の西側を意識している点が指摘され、勝山城の西側に旧城下が存在した可能性が考えられているほか、総じて甲府城を意識した築城技法と評価され、甲府城の支城として機能されていた点が指摘される。確認される。 出土遺物はかわらけ、陶磁器や釘、煙管、鉄砲玉などの金属製品、銭貨などが確認されている。陶磁器の器種は17・8世紀の茶碗類、19世紀後半台の灯明皿、小杯、燗徳利、明治期の湯呑、急須など。銭貨は主に寛永通宝や北宋銭で構成される。。
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