紀州藩お抱え絵師・岩瀬広隆とは? わかりやすく解説

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紀州藩お抱え絵師・岩瀬広隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 04:37 UTC 版)

菱川清春」の記事における「紀州藩お抱え絵師・岩瀬広隆」の解説

広隆正式に紀州藩召し抱えられ時期不明であるが、1845年頃だと推測される。翌46年刊行の『図会後編和歌山補遺では、和歌山城内の様子収録されているのが、本来軍事機密である城内を描かせたことから、藩直属お抱え絵師になったと言える1856年安政3年)の『紀州家臣諸技藝町家御用諸氏人名録』町絵師の項には、「御勘定奉行支配小普請岩瀬広隆彦三三人フ(扶持)」と有り、藩に召し抱えられていた事が分かる上述の『紀州家臣諸技藝町家御用諸氏人名録』の記述を追うと、1862年文久2年)には、5人扶持上がり、「町絵師」から「御絵師」に格上げになっている晩年は、南画傾倒している。1877年明治10年8月70歳にて没す和歌山市鈴丸丁の、帯屋兵衛と同じ菩提寺である萬精院葬られた。

※この「紀州藩お抱え絵師・岩瀬広隆」の解説は、「菱川清春」の解説の一部です。
「紀州藩お抱え絵師・岩瀬広隆」を含む「菱川清春」の記事については、「菱川清春」の概要を参照ください。

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