用土重連とは? わかりやすく解説

用土重連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 00:39 UTC 版)

 
用土重連
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文11年(1542年[1]
死没 天正6年(1578年
別名 藤田重連、新左衛門、弥八郎
主君 北条氏邦
氏族 用土氏(藤田氏)
父母 藤田康邦
兄弟 大福御前重連藤田信吉?
テンプレートを表示

用土 重連(ようど しげつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将後北条氏の家臣。上野国沼田城代。

略歴

父・藤田康邦は元々山内上杉氏に仕えていたが、天文15年(1546年)の河越城の戦いの後、北条氏康に居城・天神山城を攻撃され降伏。氏康の四男・氏邦を養子に迎え、自身は用土城に移り、用土氏を称した。

康邦の没後、家督を継いだ重連は氏邦に仕え武功をあげた。しかし、氏邦との間に確執が生じその存在を危険視された。その後、重連は金子泰清と共に沼田城代となったが、それに不満をもった氏邦によって天正6年(1578年)に毒殺されたという。

その後、後を継いだ弟・藤田信吉(異説有り)は、その恨みから天正8年(1580年)、真田昌幸の誘いに応じて武田勝頼に寝返り、沼田城を武田方に明け渡した。その後勝頼から改めて沼田城代に任じられた。

脚注

  1. ^ 『管窺武鑑』によると、「右衛門佐重利実子二人、兄は弥八郎重連、天文十一壬寅年の生なり。後に新左衛門と改む」。[1]




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「用土重連」の関連用語

用土重連のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



用土重連のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの用土重連 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS