用土原の戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 用土原の戦いの意味・解説 

用土原の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 15:16 UTC 版)

用土原の戦い(ようどはらのたたかい)とは、太田道灌長尾景春の戦いである[1]

概要

文明9年(1447年)5月13日、太田道灌は五十子の戦いで破れ上野国那波(現・群馬県伊勢崎市)に敗走した主君上杉定正上杉顕定を五十子に迎え入れた。そこに武蔵国榛沢の陣から攻め寄せてきた景春を、上杉定正と家臣太田道灌、上杉顕定とその家臣長尾忠景武蔵国用土原(現・埼玉県大里郡寄居町)の針谷で迎えうち合戦となり、上杉軍が景春を撃破。景春は鉢形城に敗走した。それを追撃包囲しようとしたが、古河公方足利成氏が援軍を送ったので、陣を引いた。

脚注

参考文献

  • 『戦国合戦史辞典』小和田泰経 碧水社 2010年4月p18

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  用土原の戦いのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「用土原の戦い」の関連用語

用土原の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



用土原の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの用土原の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS