小田治孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/20 04:14 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2022年10月)
( |
小田 治孝(おだ はるたか、文明4年10月22日(1472年11月22日) - 明応5年2月18日(1496年3月3日)[1])は、常陸の戦国大名。小田氏の第13代当主。
兄弟に小田顕家、岡見義治、宇都宮興綱室、佐竹義篤室。義弟に小田政治がいる。子に岡見治資。
小田成治の長子。弟の小田顕家が家督相続に不満を持ち、1496年、内紛を起こし、治孝は顕家に殺された。成治は養子小田政治を当主とし、顕家は追討され首を取られた。
脚注
- ^ 小丸俊雄『小田氏十五代 豪族四百年の興亡』下巻(崙書房、1979年)p.26
固有名詞の分類
- 小田治孝のページへのリンク