岡見治資とは? わかりやすく解説

岡見治資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:24 UTC 版)

 
岡見 治資
時代 戦国時代
生誕 天文元年(1532年
死没 永禄12年(1569年
官位 弾正忠
主君 小田氏治
氏族 岡見氏
父母 父:小田治孝
治広、照親、富重、治重
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岡見 治資(おかみ はるすけ)は、戦国時代武将。谷田部城主。

略歴

岡見氏常陸小田氏の一族で、この治資の系統の他にも数家存在する。

天文元年(1532年)、小田治孝の子として誕生。常陸国国境付近に勢力を持ったため、佐竹氏とたびたび争ったという。永禄12年(1569年)、手這坂の戦いで小田氏治軍の一軍として戦い、真壁久幹配下の根来法師大蔵坊の鉄砲に胸板を撃ち抜かれ[1]戦死した。

しかし、父とされる小田治孝は治資が生まれる36年前に死亡しており、一代欠落しているか、治資自身の生年が実は誤りか、実は血縁関係(いわゆる死後養子)はないと考えられる。

脚注

  1. ^ 『奥羽永慶軍記』無明舎出版 210頁 「爰に根来法師大蔵坊、鉄砲の上手なりしが、真先に進たる岡見弾正が胸板を打ぬけば」




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