天神山城_(武蔵国)とは? わかりやすく解説

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天神山城 (武蔵国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 10:19 UTC 版)

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天神山城
埼玉県
模擬御二階櫓(2010年撮影)
別名 白鳥城、根古屋城
城郭構造 山城
天守構造 不明
模擬2層2階(昭和45年RC造り
築城主 藤田氏
築城年 1540年ごろ
主な城主 藤田康邦、北条氏邦ほか
廃城年 1590年
遺構 空堀、土塁、石塁
指定文化財 未指定
再建造物 模擬天守
位置 北緯36度7分12.831秒 東経139度7分1.407秒 / 北緯36.12023083度 東経139.11705750度 / 36.12023083; 139.11705750
地図
天神山城
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天神山城(てんじんやまじょう)は、埼玉県秩父郡長瀞町岩田にあった日本の城

立地

歴史・沿革

  • 天文年間に藤田重利(のちの藤田康邦)が築城したと伝えられている。1546年(天文15年)の河越夜戦以降に北武蔵に勢力を伸ばしてきた北条氏康に重利は1549年(天文18年)7月従属した。
  • 1560年(永禄3年)に上杉謙信が関東侵攻を開始すると藤田氏は上杉方についた。しかし、同年9月に北条氏によって攻め落とされた。
  • 1564年(永禄7年)頃に北条氏康の四男である氏邦が入城した。氏邦は1568年(永禄11年)10月から翌年9月の間に鉢形城に居城を移したが、その後も天神山城は使われ続け、1590年(天正18年)の小田原征伐の際に、鉢形落城と共に開城したといわれている。
  • 1970年(昭和45年)、観光を目的として本丸跡に模擬二重櫓(鉄筋コンクリート製)が建設されたが、採算があわず倒産し模擬天守を含む周辺の建物は放置されて、現在に至る。

アクセス

  • 麓の白鳥神社脇の山道から徒歩約15分。山道は整備されておらず獣道状態。

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