天神山城 (陸奥国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 天神山城 (陸奥国)の意味・解説 

天神山城 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 09:03 UTC 版)

logo
天神山城
福島県
別名 天神山館
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 不明
廃城年 不明
遺構 土塁、堀
指定文化財 楢葉町指定史跡
位置 北緯37度26分 東経141度01分 / 北緯37.433度 東経141.017度 / 37.433; 141.017座標: 北緯37度26分 東経141度01分 / 北緯37.433度 東経141.017度 / 37.433; 141.017
地図
天神山城
テンプレートを表示

天神山城(てんじんやましろ)は、福島県双葉郡楢葉町北田にあった日本の城。

文献資料等に記載がないため詳細は不明であるが、構造的に戦国時代末期の城郭に見られる特徴を有していることから、当時この地域を支配していた岩城氏によって築かれた城と考えられている[1]

立地

東を太平洋、北を井出川、南西を木戸川に囲まれた標高40メートルほどの段丘上、南西部に位置する。現存する城郭域は、東西270メートル、南北160メートル、面積42,200平方メートルに及び、そのほとんどが天神岬スポーツ公園と北田天満宮にあたる。

また、城跡の東側には、弥生時代中期の集団墓である天神原遺跡(福島県指定史跡)がある。

遺構

土塁や堀が極めて良好な状態で残っている。現在、確認できる郭は以下のとおり。

  • Ⅰ郭:北田天満宮が立地。本丸と考えられる。
  • Ⅱ郭:Ⅰ郭の南隣に位置する。
  • Ⅲ郭:Ⅱ郭の南隣に位置する。
  • Ⅳ郭(外郭):Ⅰ・Ⅱ郭の北側を囲むように位置する。

また、上記以外にも外郭のさらに北東に位置するあやめ池は、外堀であったと考えられている。

歴史

1980年(昭和55年)7月に楢葉町教育委員会がⅡ郭と土塁の一部を対象に調査を行ったが、建物跡や遺物の発見には至らず、築城年代の特定には至らなかった。

同調査の調査概報によれば、縄張りが酷似する他の城館跡の年代を踏まえ、天神山城も戦国時代最末期のものではないかとまとめている。

アクセス

脚注

参考文献

  • 楢葉町教育委員会(1980)「天神山館調査概報」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  天神山城 (陸奥国)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天神山城 (陸奥国)」の関連用語

天神山城 (陸奥国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天神山城 (陸奥国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天神山城 (陸奥国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS