大給松平氏とは? わかりやすく解説

大給松平家

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 03:27 UTC 版)

大給松平家(おぎゅうまつだいらけ)は、松平氏の庶流にあたる武家華族だった家。松平親忠の次男乗元を祖とする十八松平の一つで、江戸時代には譜代大名4家が出、維新後には4家とも華族に列した(伯爵家1家、子爵家3家)。4家のうち2家は明治以降大給(おぎゅう)に改姓した[2]


注釈

  1. ^ 新井は「荻生また大給に作る」という[6]
  2. ^ 旧西尾藩は現米2万3190石(表高6万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[11]
  3. ^ 旧府内藩は現米1万4160石(表高2万1200石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[11]
  4. ^ 旧岩村藩は現米1万3270石(表高3万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[11]
  5. ^ 旧龍岡藩は現米5140石(表高1万6000石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[11]

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、百科事典マイペディア、旺文社日本史事典 三訂版、世界大百科事典 第2版『松平氏』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 小田部雄次 2006, p. 330.
  3. ^ 村岡幹生「大給松平家先祖再考」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年) P120-121.
  4. ^ 村岡幹生「大給松平家先祖再考」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年) P129.
  5. ^ a b 新田完三 1984, p. 630.
  6. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142632 新井『藩翰譜』巻一、発行者・吉川半七、国立国会図書館デシタルコレクション
  7. ^ 新田完三 1984, p. 632.
  8. ^ a b c d 新田完三 1984, p. 737.
  9. ^ a b c d 浅見雅男 1994, p. 24.
  10. ^ a b c d 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  11. ^ a b c d 浅見雅男 1994, p. 151.
  12. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 337.
  13. ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 247.
  14. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 195.
  15. ^ 新田完三 1984, p. 107.
  16. ^ a b 新田完三 1984, p. 109.
  17. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 403.
  18. ^ 新田完三 1984, p. 493.
  19. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 98.
  20. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 78.


「大給松平家」の続きの解説一覧

大給(宗家)松平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:14 UTC 版)

岩村藩」の記事における「大給(宗家)松平氏」の解説

徳川氏譜代の大給松平氏の松平家乗が、関ヶ原の戦い後慶長6年1601年1月に、上野那波藩から2万石岩村入り初代藩主となった慶長19年1614年2月家乗死去し、子の松平乗寿藩主継いだが、大坂の陣戦功挙げたことを賞され寛永15年1638年4月25日遠州浜藩へ加増されて移封した。

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大給(分派)松平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:14 UTC 版)

岩村藩」の記事における「大給(分派)松平氏」の解説

元禄15年1702年9月7日信濃小諸藩より松平乗寿孫・松平乗紀が'第8代藩主として2万石入った歴代藩主多く奏者番寺社奉行など幕府要職歴任しているが、そのために第9代藩主松平乗賢時代享保20年1735年5月23日1万石の加増受けて3万石となったが、その内の5,276石が駿河国15(現在の藤枝市焼津市島田市静岡市一部)で横内村横内陣屋設置し代官派遣した。また岩村藩主が大坂城代就任した期間は摂津国和泉国美作国で計1万石を給付された。 なお、大給松平家学問奨励し松平乗紀藩校文武所(のちに知新館)を創設した松平乗薀の3男・松平乗衡は大学頭である林信敬養子となり、後に林氏継いで林述斎林衡)となる。 1858年箱館奉行所の要請により足立岩次らを蝦夷地派遣近代北海道初の陶磁器生産である箱館焼生産開始する数年失敗

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大給(宗家)松平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:37 UTC 版)

大名墓地 (岐阜県恵那市)」の記事における「大給(宗家)松平氏」の解説

関ヶ原の戦い後慶長6年1601年1月に、徳川氏譜代の大給松平氏の松平家乗上野那波藩から岩村藩移封となり久翁山 龍厳寺建てた慶長19年1614年2月家乗死去したので龍厳寺境内大きな堂が立てられ位牌仏像安置していたが、子の松平乗寿が、寛永15年1638年4月25日遠州浜藩へ加増移封となったため龍厳寺廃された。後に堂が朽ち果てたので、跡地に『松平泉州家乗之墓』と刻んだ墓石建てられた。その他、松平家乗の父である松平真乗の『梅香院殿清岸道翁大禅定門 慶長十五年』という供養塔松平家乗の妻の『松樹院殿栄誉盛繁大信寛永九年』という供養塔がある。

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大給(分派)松平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:37 UTC 版)

大名墓地 (岐阜県恵那市)」の記事における「大給(分派)松平氏」の解説

丹羽氏移封後の元禄15年1702年9月7日信濃小諸藩より松平乗寿孫・松平乗紀が岩村藩に2万石入ったその際丹羽氏菩提寺妙仙寺建物受け取り小諸城にあった菩提寺松石乗政寺を仏像位牌と共に岩村移した。大給分松平氏藩主の墓を岩村には建てず、全て江戸上野の春性院建てたが、松平乗薀長男松平乗国の『玄達院殿幻光大童子 明和九年』という供養塔松平乗保長男松平乗友の『大成院仁雄智道大居士 享和元年』という供養塔がある。明治2年1869年)、最後藩主である松平乗命版籍奉還により岩村藩知事任じられたが、明治4年1871年)の廃藩置県により、岩村藩廃藩となったため、乗政寺も廃されて、寺宝など一切は、近くの晴雲山 隆祟院に移した。そのため大名墓地(乗政墓地)には乗政寺は存在していない。

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