渡辺綱光とは? わかりやすく解説

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渡辺綱光

初名乗詮、中務、求馬助、半蔵尾張家の臣渡辺飛騨守綱通が養子天保9年(1838)歿、74才。

渡辺綱光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 23:31 UTC 版)

 
渡辺綱光
守綱寺所蔵
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和2年9月3日1765年10月17日
死没 天保9年10月9日1838年11月25日
改名 乗詮→在綱→綱光
別名 靭負、半蔵(通称)、潜翁、仙翁、一楽、魯縞、魯江(号)
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
主君 徳川斉朝
尾張藩
氏族 大給松平家三河渡辺氏
父母 父:松平乗穏、養父:渡辺綱保
兄弟 松平乗統松平乗友綱光松平乗尹、青山幸賢正室、倉橋久幾室、筑紫孝門正室
養兄弟:渡辺規綱正室
養子:規綱(松平乗友次男)
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渡辺 綱光(わたなべ つなみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての尾張藩士、歌人。渡辺半蔵家9代当主。

生涯

明和2年(1765年)、三河国奥殿藩3代藩主・松平乗穏の三男として江戸で誕生した。天明2年(1782年)、尾張藩家老で三河寺部領主・渡辺綱通の養子となり名古屋に移る。天明3年(1783年)、尾張藩9代藩主・徳川宗睦御目見する。天明5年(1785年江戸城で10代将軍・徳川家治に拝謁する。

寛政12年(1800年)、養父の死去により家督を相続し、加判に列する。享和2年(1802年)、実兄・松平乗友の次男・豊吉(規綱)を養子に迎える。文化元年(1804年)、隠居して家督を規綱に譲る。

渡辺綱光の墓(豊田市守綱寺)

天保9年(1838年)10月9日に死去した。享年74。歌道に秀でており、国学者歌人村上忠順は弟子。

出典

  • 『名古屋市史』


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