松平乗羨とは? わかりやすく解説

松平乗羨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 05:32 UTC 版)

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松平乗羨
時代 江戸時代後期
生誕 寛政2年12月23日1791年1月27日
死没 文政10年8月23日1827年10月13日
改名 左七郎(幼名)→乗羨
戒名 乗誉道哲宗安厚徳院
墓所 東京都港区赤坂の浄土寺
官位 従五位下縫殿頭
幕府 江戸幕府大坂加番大番頭、二条城在番
主君 徳川家斉
三河奥殿藩
氏族 大給松平家
父母 父:松平乗友、養父:松平乗尹
兄弟 乗羨渡辺規綱精中宗室
畠山国祥正室、筧正隅養女、
馬場某室、小野某室ら
正室:池田政恭養女
乗利、媛、吉田某室
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松平 乗羨(まつだいら のりよし)は、江戸時代後期の大名三河国奥殿藩6代藩主。真次流大給松平家9代。官位従五位下縫殿頭

生涯

寛政2年(1790年)12月23日、4代藩主・松平乗友の長男として江戸で誕生。父の隠居後に誕生したため、5代藩主は叔父・乗尹が継いでいた。寛政11年(1799年)6月5日、乗尹の養子となる。享和2年(1802年)12月6日、乗尹の隠居により家督を継いだ。文化3年(1806年)9月15日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。

しかし藩政の実権は文政7年(1824年)まで隠居していた実父・乗友が掌握していたため、飾りの藩主に等しかった。文化3年(1806年)12月15日に従五位下・縫殿頭に叙位・任官する。その後は幕命により江戸城御門番役や二条城在番、大番頭などを歴任した。

文政10年(1827年)8月23日に江戸で死去。享年38。跡を長男・乗利が継いだ。

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