林家 (儒学者)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 00:46 UTC 版)
林家(りんけ)は、林羅山を祖とする日本の儒学者・朱子学者の家系である。
歴代
江戸幕府の儒家として代々任じられた林家と、第二林家の2家があり、いずれも林羅山を始祖としている。なお、林家において大学頭を称したのは3代鳳岡からであり、鳳岡までは僧形であった。
林家(大学頭家)
林家 | |
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本姓 | 藤原北家利仁流 |
家祖 | 林信勝 |
種別 |
地下人 平民 |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
江戸 入間県大里郡大幡村 |
著名な人物 | 林羅山 |
支流、分家 | 第二林家(地下人) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
元禄4年(1691年)、鳳岡が任じられた以後の官位は大学頭、これは本来名目的な武家官位で、江戸幕府における役職とは無関係であったが、幕府が建設した湯島聖堂の管理に始まり、当初は林家の家塾であった昌平坂学問所が幕府の機関になると、その長ともなる幕府における役名ともなった。
家禄は慶安元年(1648年)910石が羅山に給されて後、順次、加増があって1500石程度。林述斎の代で大きく加増され、従来は1523石であったものが、3000石と倍増し、座班も奥詰小姓番頭次席(従来は奥詰)に引き上げられた[1]。
- 林羅山 - 林家の始祖
- 林鵞峰 - 羅山の三男
- 林鳳岡 - 鵞峰の次男
- 林榴岡 - 鳳岡の子
- 林鳳谷 - 榴岡の子
- 林鳳潭 - 鳳谷の孫(林竜潭の子)
- 林錦峯 - 鳳潭の養子
- 林述斎 - 松平乗薀の三男
- 林檉宇 - 述斎の長男
- 林壮軒 - 檉宇の長男
- 林復斎 - 述斎の六男
- 林学斎 - 復斎の次男
第二林家
第二林家 | |
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![]() | |
本姓 | 藤原北家利仁流 |
家祖 | 林信勝 |
種別 |
地下人 平民 |
出身地 | 江戸 |
主な根拠地 |
江戸 東京都 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
系図
脚注
出典
- ^ 揖斐 高「寛政異学の禁と学制改革 ─老中松平定信から大学頭林述斎へ─」『日本學士院紀要』第77巻第3号、日本学士院、2023年5月12日、179-219頁、CRID 1390296066525918336、doi:10.2183/tja.77.3_179。
「林家 (儒学者)」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は現在,9代目林家正(しょう)蔵(ぞう)である。
- その名前は,江戸時代から続いており,林家一門の名人落語家に与えられる。
- 林家一門の林家木(き)久(く)蔵(ぞう)さんや,義兄の春(しゅん)風(ぷう)亭(てい)小(こ)朝(あさ)さんも,こぶ平さんの新しい出発を祝うためにパレードに出た。
- 三平さんの次男で落語家の林家いっ平(ぺい)さん(38)は2代目林家三平になることが決まっている。
- 林家木(き)久(く)扇(おう)さんや春(しゅん)風(ぷう)亭(てい)小(こ)朝(あさ)さんら人気落語家が勢ぞろいし,いっ平さんの新たな門出を祝福した。
- 会の最後に,いっ平さんは「兄の林家正(しょう)蔵(ぞう)とともに立派な落語ができるよう精進していきます。」と話した。
- いっ平さんは,3月21日の都内での特別興行から林家三平の名を正式に使い始める。
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