林永喜とは? わかりやすく解説

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林永喜

江戸初期儒官京都の人。名は信澄、号を東舟・墩、剃髪して永喜称する林羅山の弟。藤原惶窩や兄に学ぶ。刑部卿法印叙せられる。著書に『林永喜仮名遺書』『東武紀年録』等がある。寛永15年(1638)歿、54才。

林永喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 07:19 UTC 版)

 
林永喜
時代 江戸時代初期
生誕 天正13年(1585年
死没 寛永15年8月19日1638年9月26日
改名 林信澄、永喜
別名 弥一郎(通称)、東舟、樗墩(号)
墓所 市谷山伏町林氏墓地
官位 刑部卿法印
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠家光
氏族 藤原氏利仁林家[1]
父母 林信時、田中氏
兄弟 林羅山林永喜
布施氏
林信貞、永甫
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林 永喜(はやし えいき)は、江戸時代初期の儒学者、歌人。兄林羅山と共に江戸幕府に仕え、初期の幕政に参画した。

経歴

天正13年(1585年)、京都に生まれた[2]。兄林羅山に道学、歌道家に和歌を学び、慶長9年(1604年)9月9日藤原惺窩に初対面して啓発を受けた[2]。度々漢和聯句会に参加し、慶長13年(1608年)から一華堂乗阿と『源氏物語』について論争した[2]

慶長13年(1608年)3月27日駿府城徳川家康に拝謁し、江戸に出て徳川秀忠にも面会した[2]。慶長14年(1609年)長崎に派遣された[3]。慶長17年(1612年)江戸に出仕し、武蔵国瓦葺村550石を知行し、常に近侍して訴訟の裁定を行った[2]。慶長19年(1614年)と慶長20年(1615年)大坂の陣に随行した[2]

元和2年(1616年)4月17日家康の死後、南光坊天海と上洛し、菊亭晴季と家康の神号下賜について協議した[2]。同年12月21日徳川秀忠御咄衆に加わった[2]寛永3年(1626年)上洛に随行し、9月二条城行幸の時、老中・執事の評議に参加し、『皇朝類苑』等を賜った[2]。寛永4年(1627年)3月3日羅山・以心崇伝崇源院霊牌の書法、9月17日酒井忠世土井利勝・崇伝・羅山とオランダ国王の書簡について協議した[2]

寛永6年(1629年)6月父信時の葬儀のため上洛し、12月30日刑部卿法印に叙された[2]。寛永7年(1630年)12月秀忠の看病に当たり、寛永9年(1632年)1月24日死去すると、天海・崇伝・羅山等と諡号について協議した[2]。同年12月自邸を焼失し、代地を賜った[2]

寛永11年(1634年)羅山と日光東照宮増上寺の年中行事について撰文し、寛永12年(1635年)春羅山の武家諸法度19条の起草に加わった[2]。寛永13年(1636年)12月朝鮮通信使の儀式・返答書簡について協議した[2]

寛永15年(1638年)8月19日江戸で死去し、忍岡聖堂北隅に葬られ、牛込に改葬された[2]

著作

和歌懐紙「寛永十五年の夏」(個人蔵)

門人

親族

  • 父:林弥次右衛門信時(林入) - 林又右衛門正勝次男。紀伊国出身。寛永6年(1629年)6月16日83歳で没[1]
  • 母:田中氏[2]
  • 妻:布施氏[2]
    • [1]
    • 長男:弥一郎信貞[1] - 寛永7年(1630年)6月19日没[2]
    • 次男:弥平次信次(永甫、寒江[3]) - 寛永7年(1630年)12月12日評定所に出仕した[1]。寛永16年(1639年)10月1日26歳で死去し、家系は断絶した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 寛政重修諸家譜.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 伊藤 2012.
  3. ^ a b 池田 1921, p. 26.
  4. ^ a b 林 et al. 2017, p. 40.
  5. ^ a b c d e 佐村 1926, p. 1654.

参考文献

外部リンク



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