林永甫とは? わかりやすく解説

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林永甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/25 07:19 UTC 版)

林 永甫
桜丘高等学校 (愛知県)
役職 アドバイザー
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基本情報
誕生日 (1933-09-13) 1933年9月13日(84歳)
韓国
出身地 大韓民国
ドラフト  

林 永甫(イム・ヨンボ、1933年9月13日 - )は、大韓民国出身のバスケットボール指導者。

来歴

1933年に現在の北朝鮮側にある海州市に生まれる。朝鮮戦争が始まると北朝鮮軍に徴用される。1952年に韓国軍に投降、捕虜となる。1953年6月に解放されるが職も無く、韓国軍に志願する。軍でバスケットボールチームを作ろうとしていた軍人達に、経験も無かったがチームに加えてもらう。

選手を引退した後、1960年代から東信化学を初めとして、韓国の多くの実業団チームを指導する。1998年、JALラビッツのヘッドコーチに就任、第4回第6回第7回Wリーグで準優勝し、2005年オールジャパンでは初優勝を遂げた。2008年、荒順一にヘッドコーチ職を譲り技術顧問に就任、2009年にチームを離れた。

2012年、東京学館新潟高等学校女子バスケットボール部のアシスタントコーチに就任[1]。2013年4月、山梨クィーンビーズのヘッドコーチに就任[2]。シーズン終了後にチームがWリーグから撤退すると同時に退任。

2014年、桜丘高等学校男子・女子バスケットボール部のアドバイザーに就任[3]

脚注

関連項目

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