高麗氏とは? わかりやすく解説

高麗氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 18:22 UTC 版)

高麗氏(こまうじ、こまし)は、日本の氏族のひとつ。「狛」や「巨萬」とも表記されることがあった[1]

高句麗渡来氏族

高麗氏
氏姓 高麗、高麗朝臣
氏祖 高麗王若光系
 高麗若光
 (高句麗王族)

高麗朝臣系
 背奈福徳
 (・第19代高句麗王広開土王の七世の延興王(延典王)後裔)
種別 諸蕃
本貫 武蔵国高麗郡
著名な人物 高倉福信
後裔 高麗朝臣系統
 高倉朝臣
 吉川氏(武家
 井上氏(武家
凡例 / Category:氏

高句麗王族と高句麗国の人を祖先とする渡来系氏族である[1] カバネ使主朝臣[2]

概要

668年の王族を含む多数の高句麗人が日本に亡命している。また、それ以前から高句麗から日本列島に移住し定着した人々も存在した。彼らの一部が「高麗」の氏姓を称したものと推測されている。

703年大宝3年)に高句麗の王族と推測される高麗若光 こにきしのカバネを与えられる。716年(霊亀2年)、朝廷は武蔵国高麗郡埼玉県日高市)を設立し、高句麗からの帰化人を移住させた。

武蔵国高麗郡高麗神社宮司は若光の子孫を称しており、現在の宮司は若光から数えて60代目とされる。若光系の高麗氏としては、この家系が知られているのみである。高麗神社には若光を祖とする「高麗氏系図」が伝来している。

750年天平勝宝2年)には高句麗第19代広開土王の5代の孫背奈福徳後裔の福信ら一族が朝臣 カバネを与えられる。当時、渡来人系氏族に朝臣を与えるのは異例であった。なお、のちに福信は氏を高倉と改めている。

同族に高句麗第22代安臧王3代の孫から発祥した狛氏がある。

南北朝時代に、武蔵国で室町幕府に属して活動した武将に高麗経澄がある。

一族

高麗王若光系(高麗神社社家)

高麗朝臣系

系譜

高麗神社社家(高麗王若光系)系図

 宝蔵王
  ┃
  高麗若光
  ┣━━━┓
  家重  聖雲
  ┃
  弘仁
  ┃
  (高麗神社社家)

高麗朝臣系図

 広開土王
  ┃
 (略)
  ┃
 延興王
  ┃
 (略)
  ┃
  福徳
  ┣━━━┓
  行文  福光
  ┃   ┗━━━┳━━━┳━━━┓
  大山      福主  福延  福信
  ┣━━━┓       ┃   ┣━━━┓
  殿守  殿継      乙人  山岳  石麻呂

派生氏族

桓武平氏秩父氏族の高麗氏

桓武平氏秩父氏系の高麗氏。秩父武基の長男・ 武家 たけいえ高麗氏を称した。現在も秩父の近く(現:埼玉県日高市)に「高麗」の地名が残っているようにその周辺を拠点としていた。 一族に信濃白河氏、備中赤木氏越後色部本庄氏がある。

脚注

  1. ^ a b 太田 1934, p. 2374.
  2. ^ 太田 1934, p. 2375.

参考文献

関連項目






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