背奈福徳とは? わかりやすく解説

背奈福徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 01:13 UTC 版)

 
背奈福徳
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 背奈氏
行文
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背奈 福徳(せな の ふくとく)は 、飛鳥時代豪族(カバネ)は伝わらない。第19代高句麗王広開土王の後裔で、その七世の子孫である延興王(延典王)の子孫とする[1]

経歴

660年、福徳は日本(当時は「」)に亡命し、のちに武蔵国に居住した[2]

系譜

脚注

  1. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃。ただし高句麗王族の系図に延興王(延典王)に当たる人物は見あたらない。
  2. ^ a b 続日本紀』延暦8年(789年)10月17日条に、福徳の孫福信の叔父として登場する。

参考文献

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年




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