林檉宇とは? わかりやすく解説

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林檉宇

読み方はやし ていう

江戸後期儒者幕府儒官。述斎の三子。名は皝、字は用韜、培斎と号する佐藤一斎等に学び、のち大学頭称し待講に進んだ弘化3年(1846)歿、54才。

林檉宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 06:02 UTC 版)

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林檉宇
時代 江戸時代後期
生誕 寛政5年5月27日1793年7月5日
死没 弘化3年12月6日1847年1月22日
別名 皝(ひかる、)、用韜()、培斎(号)、大学頭
墓所 東京都新宿区市谷山伏町の林氏墓地
幕府 江戸幕府
氏族 林家
父母 父:林述斎
兄弟 檉宇鳥居耀蔵復斎
壮軒
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林 檉宇(はやし ていう)は、江戸時代後期の儒学者

生涯

寛政5年(1793年)、江戸幕府に仕えた儒官の家として代々大学頭を称した林家の当主林述斎の三男として江戸に生まれた。

佐藤一斎松崎慊堂に学び、天保9年(1838年)には父祖同様、幕府儒官として大学頭を称して侍講に進んだ[1]。著作に『澡泉録』などがあり、能書家としても知られる。

脚注

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