大給松平氏の菩提寺とは? わかりやすく解説

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大給松平氏(宗家)の菩提寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:14 UTC 版)

岩村藩」の記事における「大給松平氏(宗家)の菩提寺」の解説

岩村藩初代藩主松平家乗慶長6年1601年)に菩提寺として久翁山 龍巌寺建立し、また天正18年(1590年)に上州那波父祖のために建立した久昌山 盛厳寺を岩村移した慶長19年(1614年2月家乗死去し、子の松平乗寿藩主継いだが、大坂の陣戦功挙げたことを賞され寛永15年1638年4月25日遠州浜藩へ加増されて移封となったため、移封の際に龍厳寺廃されたが、盛巌寺岩村町人松田自休によって復興され現在に至っている。大給松平氏(宗家)は、館林藩唐津藩鳥羽藩亀山藩淀藩佐倉藩山形藩転封し、最後に三河西尾藩明治至り廃藩となった。そのため愛知県西尾市にも大給松平氏(宗家)の菩提寺としての盛厳寺がある。

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大給(分派)松平氏の菩提寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:14 UTC 版)

岩村藩」の記事における「大給(分派)松平氏菩提寺」の解説

丹羽氏移封後の元禄15年1702年9月7日信濃小諸藩より松平乗寿孫・松平乗紀が岩村藩に2万石入ったその際丹羽氏菩提寺妙仙寺建物受け取り小諸城にあった菩提寺浄土宗松石乗政寺を仏像位牌と共に岩村移した。大給(分派)松平氏藩主の墓を岩村には建てず、全て江戸上野の春性院建てたが、乗政寺の墓地松平乗薀長男松平乗国の『玄達院殿幻光大童子 明和九年』という供養塔松平乗保長男松平乗友の『大成院仁雄智道大居士 享和元年』という供養塔建てられた。明治4年1871年)の廃藩置県により、岩村藩廃藩となった際に、乗政寺も廃されて、寺宝など一切は、近くの隆祟院に移された。

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