大給松平氏(宗家)の菩提寺
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「岩村藩」の記事における「大給松平氏(宗家)の菩提寺」の解説
岩村藩初代藩主の松平家乗は慶長6年(1601年)に菩提寺として久翁山 龍巌寺を建立し、また天正18年(1590年)に上州那波に父祖のために建立した久昌山 盛厳寺を岩村に移した。慶長19年(1614年)2月に家乗は死去し、子の松平乗寿が藩主を継いだが、大坂の陣で戦功を挙げたことを賞され、寛永15年(1638年)4月25日に遠州浜松藩へ加増されて移封となったため、移封の際に龍厳寺は廃されたが、盛巌寺は岩村の町人松田自休によって復興され現在に至っている。大給松平氏(宗家)は、館林藩、唐津藩、鳥羽藩、亀山藩、淀藩、佐倉藩、山形藩と転封し、最後に三河の西尾藩で明治に至り廃藩となった。そのため愛知県西尾市にも大給松平氏(宗家)の菩提寺としての盛厳寺がある。
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大給(分派)松平氏の菩提寺
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「岩村藩」の記事における「大給(分派)松平氏の菩提寺」の解説
丹羽氏が移封後の元禄15年(1702年)9月7日、信濃小諸藩より松平乗寿の孫・松平乗紀が岩村藩に2万石で入った。その際に丹羽氏の菩提寺の妙仙寺の建物を受け取り小諸城内にあった菩提寺の浄土宗の松石山 乗政寺を仏像や位牌と共に岩村へ移した。大給(分派)松平氏は藩主の墓を岩村には建てず、全て江戸上野の春性院に建てたが、乗政寺の墓地に松平乗薀の長男で松平乗国の『玄達院殿踏雲幻光大童子 明和九年』という供養塔、松平乗保の長男で松平乗友の『大成院仁雄智道大居士 享和元年』という供養塔が建てられた。明治4年(1871年)の廃藩置県により、岩村藩は廃藩となった際に、乗政寺も廃されて、寺宝など一切は、近くの隆祟院に移された。
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