箱根戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:19 UTC 版)
詳細は「箱根戦争」を参照 東海道の小田原以西の諸藩は新政府に対して恭順したため、東征軍の通過当初は戦闘が起きなかった。しかし、林忠崇率いる請西藩兵及び遊撃隊を中核とする旧幕府側武装勢力が房総半島から江戸湾を横断して、閏4月15日に真鶴半島へ上陸した。諸藩の脱走者等も加わってその兵力は約300人に達し、小田原藩や韮山代官に協力を働きかけた。新政府軍は林や遊撃隊が彰義隊に呼応して行動することを警戒し、上野戦争直後の旧暦5月18日(1868年7月7日)に小田原藩に対して鎮圧準備を命じた。事態を知った遊撃隊側が箱根関の小田原藩兵・中津藩兵を攻撃すると、小田原藩は一時的に佐幕派に方針転換して遊撃隊を小田原城下に招き入れた。その後、旧暦5月24日に至って小田原藩は新政府側に藩論が戻り、林や遊撃隊らは小田原藩兵の追撃を受けつつ館山などへ海路撤退した。
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