光謙は最後の藩主か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 18:29 UTC 版)
藩主および知藩事の地位にあった者(大名)として、光謙は昭和時代まで生きた最後の人物であったが、「最後の藩主」として候補に挙げられる人物は光謙を含め4人いる。 近江大溝藩(2万石)藩主・分部光謙 - 1944年(昭和19年)死去、満82歳 上総請西藩(1万石)藩主・林忠崇 - 1941年(昭和16年)死去、満92歳 駿河静岡藩(70万石)藩主・徳川家達 - 1940年(昭和15年)死去、満76歳 安芸広島藩(42万石)藩主・浅野長勲 - 1937年(昭和12年)死去、満94歳 光謙が単純に「最後の藩主」とされがたい理由として、下記の事情が挙げられる。 光謙が家督を相続したのは既に版籍奉還が行われた後であり、幕藩体制が事実上瓦解していたこと 知藩事在職期間が1年2か月と短いこと 廃藩置県より前に知藩事を免官になっていること 林忠崇は戊辰戦争で自ら藩兵を率い藩主として積極的に行動していたが、光謙は辞任時ですら10歳(満8歳)という幼年であること 林忠崇についても、戊辰戦争後に改易され本人が爵位を受けていないこと、徳川家達も廃藩置県時に満7歳の幼君であることから、それらの事情を持たない浅野長勲までが「最後の藩主」の候補となる。
※この「光謙は最後の藩主か」の解説は、「分部光謙」の解説の一部です。
「光謙は最後の藩主か」を含む「分部光謙」の記事については、「分部光謙」の概要を参照ください。
- 光謙は最後の藩主かのページへのリンク