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林忠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 15:35 UTC 版)

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林忠一

林 忠一(はやし ただかず、1883年明治16年)11月15日[1] - 1952年昭和27年)12月23日[1][2])は、大正から昭和期の弁護士政治家華族貴族院男爵議員

経歴

上総国請西藩主家当主・林忠弘の長男として生まれる[1][3]

1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][3][4]第10師団法官部理事を経て[3]1917年(大正6年)大阪地方裁判所所属弁護士となった[2][3]。同年1月31日[注 1]、前年の忠弘死去に伴い男爵を襲爵した[1][3][5]

1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

栄典

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、377頁では1月3日と誤記。

出典

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』377-378頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ハ94頁。
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学、1911年、学士及卒業生姓名97頁。
  5. ^ 『官報』第1348号、大正6年2月1日。
  6. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。
  7. ^ 企画展「請西藩林家が遺したモノ」 木更津市郷土博物館 金のすず ホームページ

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代:
林忠弘
男爵
請西林家第2代
1917年 - 1947年
次代:
華族制度廃止



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