尾張林氏
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甲斐源氏・小笠原氏の傍系であり、松平親氏の頃より松平氏(徳川氏)に仕えたとされる譜代家臣。信濃林城を築いた府中小笠原家の小笠原清宗の次男の林光政を始祖とする。 江戸時代後期までは代々旗本であったが文政8年(1825年)、11代将軍徳川家斉の寵臣であった林忠英の代に貝淵藩1万8千石の大名に列せられた。子の忠旭の代に1万石に減らされ、陣屋を移し請西藩となる。 幕末、請西藩第3代(通算で4代)忠崇は、藩主であるにもかかわらず自ら脱藩し、藩士を率いて旧幕府軍として戊辰戦争に参戦、その責任を取られ請西藩は明治元年(1868年)に明治新政府により取り潰しとなった。しかし、明治26年(1893年)に赦され、忠崇は無爵華族に、嫡男忠弘は男爵に叙されている。なお、林忠崇は昭和16年(1941年)まで存命しており、「最後の大名」とも呼ばれた。 結果論であり、伝承に拠ることになるが、徳川氏の始祖から、徳川幕府の最後まで、林家は徳川の臣として仕えたことになる。
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