幕府輸送船太江丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/19 04:24 UTC 版)
「タ・キアン (商船改装砲艦)」の記事における「幕府輸送船太江丸」の解説
1864年9月22日、タ・キアンは元の船主に返却され、武装を取り外した。その後幕府に売却され、タ・キアンの中国語の意味に従い、「太江丸」(「大江丸」は誤り)と命名された。太江丸は第二次長州征伐にも輸送船として参加し、周防大島に陸兵を上陸させた。その後、幕府から仙台藩に貸与された。江戸開城後も、幕府海軍の副総裁である榎本武揚は新政府への軍艦の引渡しに応じなかった。戊辰戦争が始まると奥羽越列藩同盟は榎本に支援を求めてきた。これに応え、榎本は幕府海軍の主力を率いて仙台に向かう。太江丸はここで主力艦隊と合流し、榎本脱走艦隊に先行して仙台に来ていた長崎丸二番とともに平藩支援のために仙台兵を輸送し、平潟を砲撃したが、形勢を覆すには至らなかった。列藩同盟が新政府軍に降伏すると、榎本らは北海道に向かった。この際、太江丸は新選組の隊士100人を、室蘭経由で函館に輸送している。その後1869年に再び米国艦籍に戻り、ペイホー(Peiho)と命名されたと言う。
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