幕府軍と交戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:58 UTC 版)
元治元年6月、幕府は筑波勢追討令を出して常陸国・下野国の諸藩に出兵を命じ、直属の幕府陸軍なども動員した。7月7日に諸藩連合軍と筑波勢との間で戦闘が始まった。筑波勢は機先を制して下妻近くの多宝院で夜襲に成功。しかし、水戸藩内で天狗党参加者の親族に対する報復が始まり、一族の屋敷が放火されたり、家人が投獄、銃殺されるなどの虐殺が行われた。筑波勢の内部では動揺が起こり、筑波勢本隊は水戸に戻り、水戸城下で諸生党と交戦するが敗退。江戸へ向かって進撃した一派も鹿島付近にで幕府軍に敗北した。
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