幕府艦船の掲揚法
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初期の幕府海軍艦船は、日本船の総印として日の丸の旗を掲げ、別に幕府所属であることを示すために白紺の吹流しや黒帯の入った旗を用い、さらに帆にも黒帯を染め入れていた。これは、「鳳凰丸」などの整備に伴い、嘉永7年(1854年)に制定された方式である。嘉永6年8月(1853年9月頃)の浦賀奉行からの献策に基づいている。日の丸(朱の丸)は、従来から幕府御用船の標識(海外では国籍旗とみなされる)として用いられてきたものである。他方、白地に黒帯は、徳川氏の祖先とされる新田氏の源氏中黒旗に由来する。 その後、安政6年(1859年)に掲揚法は改正され、幕府艦船であることを示す標識は、中黒の長旗に変更された。中黒の帆は廃止され、以後は白帆を用いることとされた。 大日本帝国海軍ではこれら日本独自の掲揚法を廃止し、国際慣習である西洋式の軍艦旗を制定した。
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