鳳凰丸
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鳳凰丸(ほうおうまる)は、幕末に江戸幕府によって建造された西洋式帆船。幕末に日本で建造された洋式大型軍艦のなかで最初に竣工した。蒸気船の急速な普及のため旧式化し、実際には軍艦ではなく輸送船として使用された。
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- ^ a b 石井(1995年)、100頁。
- ^ a b #銘銘伝(2014)p.166、鳳凰(ほうおう)
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- ^ a b c 船の科学館(2003年)、「日本初の国産洋式軍艦“鳳凰丸”」
- ^ a b c d e 安達(2001年)、41-42頁。
- ^ a b 暉峻康隆 『日の丸・君が代の成り立ち』 岩波書店〈岩波ブックレット〉、1991年、28頁。
- ^ 吉野真保編 『嘉永明治年間録 四巻』
- ^ 松本健一 『「日の丸・君が代」の話』 PHP研究所〈PHP新書〉、1999年。
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- ^ 石井(1995年)、101頁。
- ^ 勝海舟 『海軍歴史』復刻版 原書房〈明治百年史叢書〉、1967年、445頁。
- ^ 兵部省 「兵部省書類鈔録 竒捷丸外艦船取調書」 明治1年7月2日、JACAR Ref.C09090005500
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- ^ 紺野哲也「市史余話27. 箱館戦争 7 旧幕府脱走軍艦隊」『市政はこだて』552号(1985年9月)
- ^ 柳田東洋 「6月9日 柳田東洋 脱賊にて開拓者と称する者及び鳳凰丸定乗組の者305人砂原村着の事」 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C09080112800
- ^ #日本近世造船史明治(1973)p.173
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- ^ #M1-M9海軍省報告書画像10、明治二年己巳 軍務官 兵部省、9月。
- ^ 兵部省 「兵部省書類鈔録 飛準丸外4船引渡の件弁官へ申出」 JACAR Ref.C09090029000
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- ^ 石井(1995年)、95頁。
- ^ 石井(1995年)、98頁。
鳳凰丸
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「からくり剣豪伝ムサシロード」の記事における「鳳凰丸」の解説
アマクサ島の村人が代々受け継いでいた伝説の秘剣。鳳凰丸に選ばれた物しか抜けない刀で、何人もの武芸者が試したことがあるが抜けたのはコジローのみ。黄金の鳥を発現できたものに譲るという言い伝えを守りコジローに託される。刀身はモノホシザオよりも長い。天空丸・天地丸同様、抜刀すると形状が変わる。ハバキの玉に浮かぶ文字は『鳳』。黄金の鳥を発現する技を使用すると体力を著しく消耗する。この技は「鳳凰剣」・「不死鳥の舞」と2種類の呼び方をされる。
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鳳凰丸
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原形は法隆寺の宝物「鳳凰円文螺鈿唐櫃」の文様。また松竹の興行宣伝などでは松竹マークが代用される。
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鳳凰丸
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船先に鳳凰を模したカラフルな船で、塩竈みなと祭の中心行事の重要な役所として初回より使用されている。1965年に2代目鳳凰丸が建造され、就航している。
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