幕府陸軍時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 12:18 UTC 版)
慶応2年(1866年)、幕府陸軍の伝習兵募集に応じ、横浜陸軍伝習所(歩兵科)に入所。翌慶応3年(1867年)からフランス軍事顧問シャノアンらに仏式軍事教練を受けると抜擢され、指図役頭取(大尉、中隊長クラス)から歩兵頭並(少佐、大隊長クラス)に昇進。教練場が江戸屯所に移されると、追加で募集された第二伝習兵1,500名の教練を一任された(第三伝習兵の教練はフランス人が担当)。 慶応4年(1868年)1月、歩兵奉行並に昇進。3月、士官約20名を連れ兄・須藤時一郎とともに江戸を脱走。会津で遊撃隊(銃隊)を編成する。4月、会津を出て日光方面にて大鳥圭介とともに板垣退助らの新政府軍と戦う。7月、会津に戻り遊撃隊を伝習し、下旬に庄内藩へ移動、農兵を訓練する。9月に庄内藩が降伏し、12月に江戸へ護送される。「ああ たった六十余州か けさの春」の句を読む。
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