喜連川義親とは? わかりやすく解説

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喜連川義親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 04:19 UTC 版)

 
喜連川義親
時代 江戸時代前期
生誕 慶長4年(1599年
死没 寛永4年7月3日1627年8月13日
改名 梅千代王丸(幼名)、義親
戒名 天燾院義山英公
墓所 茨城県古河市徳源院
官位 河内守
幕府 江戸幕府
下野喜連川藩世嗣
氏族 喜連川家
父母 喜連川頼氏足利氏姫
兄弟 義親島田守政正室
正室榊原康政の養女・松月院
継室養儼院
尊信
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喜連川 義親(きつれがわ よしちか)は、江戸時代前期の下野国喜連川藩の世嗣。官位河内守

略歴

下野国喜連川藩初代藩主・喜連川頼氏の長男として誕生。母は古河公方足利義氏の娘・氏姫。幼名は梅千代王丸。

正室は松月院(榊原康政の養女・康政室花房氏の姪)。継室は養儼院黒田直陣の娘。元・徳川家康側室。)。

母である氏姫が喜連川に入ることを拒み、古河城郊外の鴻巣御所に居住し続けていたため、義親も母と共に暮らした。母の死後も喜連川に入ることなく、父に先立ち29歳で病死した。法号は天燾院義山英公。墓所は徳源院。代わって長男・尊信が嫡子となった。

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