御相伴衆とは? わかりやすく解説

相伴衆

(御相伴衆 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/28 09:32 UTC 版)

相伴衆(しょうばんしゅう、御相伴衆とも)は、室町幕府における役職的な身分の一つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事。管領家の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった(ただし、三管領家も社会的身分としては相伴衆中の上位に位置づけられていたとする見方もある[1])。

室町幕府の重鎮大名

将軍の外出などに守護大名が随従する慣習は足利義満の頃には成立していたが、役職・身分としての相伴衆の成立は足利義教永享年間であると推定されている。即ち「相伴衆」といえば以下の7家の当主を指していた。

山名氏
但馬備後安芸の守護。侍所所司。四職家
一色氏
丹後伊勢三河の守護。侍所所司。四職家。
畠山氏(匠作家)
能登の守護。
細川氏(讃州家)
阿波の守護。
赤松氏
播磨備前美作の守護。侍所所司。四職家。
京極氏
出雲隠岐飛騨の守護。侍所所司。四職家。
大内氏
周防長門豊前筑前の守護。

このうち『宗五大草紙』等における格式・礼式の規定を見ると、赤松・京極・大内の3家は相伴衆中では下位に位置づけられていたようである。また、応仁の乱後(15世紀末)には土岐氏美濃の守護)も相伴衆に加えられていたとする説もある[1]。室町時代には国持衆から相伴衆への昇格は非常に厳しく、足利義澄若狭武田氏を相伴衆に引き上げようとした際に管領細川政元が激しく抵抗した結果、相伴衆への昇格を取りやめる代わりに武田元信従四位にすることで妥協している[1]

戦国大名の名誉格式へ

戦国時代になると、朝倉孝景北条氏康北条氏政尼子晴久斎藤義龍毛利元就毛利隆元毛利輝元今川氏真大友義鎮伊東義祐河野通直など在京して将軍に随従する事もない地方の戦国大名が任じられる例も増えて、役職としての意味合いは希薄化して大名の格式を示す身分としてのみ存在するようになるが、一方で武田信玄から追放されて京都へ居を移した武田信虎が任じられる事例もあった。また、本来は細川氏の家臣であった三好長慶足利義輝より相伴衆に任じられてその身分的権威をもって管領の役職を代行して幕政の実権を握り、さらに長慶の子の三好義興も任じられた。

更にこれとは別に将軍家に近い公家が相伴衆に任じられる例があった。永正の錯乱の際に足利義澄に従って京都を脱出した日野高光、出家隠遁した冷泉為広、妻の実家今川氏に逃れた正親町三条実望は義澄の相伴衆であったという。

職制としては室町時代のみであるが、戦国時代から江戸時代初期に見られる御伽衆は、しばしば相伴衆とも呼ばれ、将軍(あるいは大名)に仕えた似たような役職である。

脚注

  1. ^ a b c 木下聡「若狭武田氏の研究史とその系譜・動向」木下 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻 若狭武田氏』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-192-9

参考文献

  • 二木謙一『中世武家の作法』吉川弘文館 1999年

関連項目

外部リンク


御相伴衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

佐々木道誉」の記事における「御相伴衆」の解説

永仁4年1296年)、近江地頭である佐々木氏分家京極氏生まれ嘉元2年1304年)に死んだ母方叔父である佐々木貞宗の後を継いで家督継承する[要出典]。正和3年1314年)に左衛門尉元亨2年1322年)には検非違使となる。検非違使役目務めて京都滞在していたと考えられており、元亨4年1324年)の後醍醐天皇行幸随行している。鎌倉幕府では執権北条高時御相供衆として仕え高時出家した際には共に出家して導誉と号した

※この「御相伴衆」の解説は、「佐々木道誉」の解説の一部です。
「御相伴衆」を含む「佐々木道誉」の記事については、「佐々木道誉」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「御相伴衆」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「御相伴衆」の関連用語

御相伴衆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



御相伴衆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの相伴衆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの佐々木道誉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS