足利義俊とは? わかりやすく解説

足利義俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:16 UTC 版)

足利 義俊(あしかが よしとし、寛政7年(1795年) - 明治9年(1876年)3月14日[1])は、江戸時代後期から幕末京都浪人足利義根の末弟・足利義恭の子。のちに義根の養子。平島公方当主。幼名は久丸。通称は中務。兄は平島義寛。子は義孝。


  1. ^ 阿南市立阿波公方・歴史民俗資料館蔵 足利家系譜 享年82とある。
  2. ^ 阿波公方民俗資料館蔵・系図の写しによると100円
  3. ^ 阿波公方民俗資料館蔵・系図の写し
  4. ^ 阿南市立阿波公方・歴史民俗資料館蔵 足利家系譜
  5. ^ 阿波公方民俗資料館蔵・系図の写し


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